第63回 影と地平線

 

私は中学生や高校生の子供たちと遠近法で影を描くことをよくやります。

学校でも中学生ぐらいのときに美術の時間に遠近法を使って物を描くことを学ぶのではないでしょうか。

私も中学のとき、学校の校舎を遠近法で描いたように思います。

そのときに、地面にみずたまりを作って、

みずたまりにどのように校舎が映るかまで描いていたように思います。

今考えると、なかなかこだわった子供だったのだな、結構偏屈だったし、と思います。

そのときに描いたものがちゃんと理にかなっているか見てみたい気もします。

ただ、私の遠近法はそこで終わってしまっていました。

もちろん、一点透視、二点透視、三点透視なんてことも分かっていましたが、

やはりそれ以上のものではありませんでした。

 

ドイツの教員養成ゼミナールの美術の白黒画の時間に

先生が物を見ないで湯飲みのようなものを描きました。

まさに湯のみだったのです。

なぜ湯のみなのか・・・?今考えると不思議です。

ドイツに湯飲みはないように思うのですが。

やはりあれは湯飲みでした。

湯飲みが描きやすかったのか・・・?

 

それはさておき、最初は何を描いているのか分からなかったので、とても不思議な感じでした。

しかしそれに影が描きこまれたときそれはまさに目の前にある湯飲みに変身したのです。

これはかなり大きな驚きでした。

そう、コロンブスが新大陸を発見したくらいの驚きでした。

今まで白黒画というと、石膏像を見て、それを克明に再現することしか知りませんでした。

よりそこにある物そっくりに描くか、ということをやり続けてきたのです。

そこからは、対象物を見ないで描き出していくことなんか思いもつかないことでした。

知らないことだらけでした。

絵に描かれた湯飲みの口の楕円形

(なんと円を横から見ると楕円形なんだ、ということもこのとき初めて気がついたことでした。

高校で楕円の公式なんてやっているのに、

そして、その影は、どこから光が射そうと、床、もしくは平面の台の上にできる影は、

どこに出来ようとその口の楕円形の形そのまま移されていく、というものでした。

とにかく、絵という二次元の世界の中で三次元の光の関係性を正確に描くことが出来るということは

私を夢中にさせました。

それから、数学や作図の本を探し出して自主練が始まりました。

いろんな角度で射す光といろんな形のものに出来る影、球の影はどのように出来るのか??

など、いろいろトライしました。

今まで勘と感覚に頼って描いていたものが、しっかりと辻褄を持って描けるようになったのです。

これは考えてみれば、論理的思考作業と芸術的表現の融合でもあります。

思えば、このとき初めて自分の学びが始まったように思います。

 

しかし、日が傾くと湯のみの影が遠くに伸びていく、

太陽がほとんど地平線上に沈むようになると、影は永遠に伸びていく、

でもその頭のところにはやはりあの楕円の形を残している、

というイメージが時々私の頭にフラッシュバックのようによみがえってきて、頭から離れませんでした。

このころから知らず知らずのうちに変なところに足を突っ込んでしまったのかもしれません。

 

えっつ?写真の説明、ああそうだっけ。

 

ここはよくいく前回の海面の写真をとった場所です。

朝方太陽がまだ低い位置にあるときに欄干の影が地面に射しています。

この写真の左上隅のところに実は太陽があります

(まぶしすぎて形を成していませんが)欄干の影たちはお互いに寄り添っている感じがしますよね。

どこに寄り添っているかというと、実は太陽の真下の地平線上の点に集まっているのです。

 

 

この写真は同じ場所を今度は太陽を背にして見ています。

やっぱり影たちは集まっていますよね。

いったいどこに集まっていると思いますか?太陽もないのに。

私の影が映っているのは分かりますよね。

実はこの影を延長した地平線上に集まっています。

ちなみに、私の影は少し斜めになっていますよね。

実は、自分の影って、影を直視したら(影のほうをしっかり向くと)

まっすぐに立つって知っていました。

よかったらやってみてください。

とにかく、不思議なことばかりです。

私にとっては不思議でならないことばかりです。

なんだか、今回は、皆さんを煙に巻いてしまったようですね。

 

地平線

遥かかなたで私をとり包む円であり直線である地平線

私がどんなに進んでいっても、永遠にたどり着けないところ。

過去に遡ってもたどり着けないところ。

どんなに大きなものも、どんなに小さなものも

そこから生まれ、私のところへやってくる。

どんなに大きなものも どんなに小さなものも

私から遠ざかり そこへ消え去る。

どんなにちっぽけなものも、私の前にきたら巨大なものに成り代わる。

どんなに巨大なものも、私の前から遠ざかると小さくなる。

でも、それは私が歩き続けたとき。

どんなに苦しくても歩き続けたとき。

すべては地平線からやってきて

すべては地平線へと消えてゆく

そんな中で、変わらないもの、お日様、お月様、空に浮かぶ虹

そして、夜空に浮かぶ星たち。

すべては、私の友だち

 

 

2006.12.01.

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