90 羊飼い3

 

男の子は最後の一夜をエルサレムの近くの宿場であかした。

そこにはたくさんの宿屋があり夜遅くまで明かりがともり、通りには人通りが絶えなかった。

男の子は、通りに面した宿屋の軒下で横になった。

そこで見るものはすべてが珍しく、心は高鳴っていた。

街の灯りで、空に星が見えなかったことはちょっと残念だったけど。

夜中に男の子は寒さで、ふと目を覚ました。通りの明かりが消え。

シルエットになった家々の上に満天の星空を見た。

羊たちと過ごした時間が思い起こされ、少し安心すると、また眠りについた。

まだ、日が昇る前に起きると、支度をして出発した。

遠くにエルサレムの城壁と、街並み、それに中心に大きな神殿が昇る朝日を受けて煌々と輝いていた。

エルサレムの城壁に近づくにつれ人通りが増えてきた。

きらびやかな格好をしてらくだを従えている商人たち、黄金色に飾り付けられた馬車、

そしてたくさんのたびの人々、いろんな音が城壁にこだまして、舞い上がる砂埃と混ざり合っていた。

街の中に入ると、更にそのにぎやかさはました。

通りには、たくさんの店が並び、いろんなものを売っていた。

その商人たちの掛け声や人々の話し声、往来の喧騒の中で、ボーっとなりながら

、男の子はそれでも神殿の方に向かって歩いていった。

大きな通りが城壁のところからまっすぐ連なり、

その通りを人々の流れに従って歩いていくと自然と神殿の方にやってきた。

神殿に近づくにつれ、あたりの様相は変わっていった。

通りの周りも神殿にささげるものを売る店、占いの店、などが並び、

白い服を着た神に仕える人たちが往来していた。

通りを抜けると神殿の前は広場になっていて、たくさんの人々が集まっていた。

そこには、いくつもの集団があり、その中心では、誰かが声高に話をしていた。

男の子はやっとたどり着いた、と思った。

自分が大きくなったら学びたいと、ずっと夢にまで見てきた神殿が目の前にあった。

喜びで小躍りしたい気持ちを抑えながら、その集団の一つの後ろに座り込み、

その中心で語りかける神官の話に耳を傾けた。

その話は、男の子が今まで聞いたこともないような内容だったが、

自分がいろいろ考えてきたこととつながってとても嬉しくなった。

しばらくするとあたりに大きなどらの音が鳴り響き、

捧げ物をする時間が来たことをみなに知らせた。

男の子は、早速、その長い列に並んだ。

そこには、立派な服で身を飾った人たちががそれぞれの捧げ物を手にしたり、召使に持たせたりしていた。

神殿の中の巨大な祭壇の周りには火が焚かれ、香の煙と香りが立ち込めていた。

周りはきらびやかな黄金の調度品に飾られ、

一目で位が高いとわかる服を着た神官たちが祭壇を取り囲むように立っていた。

経典を読む声が高らかに響く中、捧げ物が一つ一つ祭壇に飾られていった。

男の子は、胸が高鳴る中、自分の順番を待った。

前の黄金の供物が捧げられたあと、男の子の番になった。

男の子が古い紙に大事にしまわれたうす茶色の織物を取り出してそれを祭壇に捧げようとしたしたとき、

あたりから驚きとも嘲笑ともつかない声がこだました。

男の子はそれを気にせずに祭壇に捧げようとしたときに、一人の神官が歩み寄った。

そしてこう言った「お前は、そのような薄汚い布を神に捧げることで、神を冒涜しようとしているのか?」

それは、男の子が思いもつかぬ言葉だった。

神官たちは、男の子の思いを理解してくれるとばかり思っていたので、その驚きは大きかった。

そして、あらためて祭壇を眺めた。

祭壇に捧げられた、美しく、見事な物たちの中で、男の子の布はあまりにもみずほらしいかった。

男の子は急に悲しみとも、恥ずかしさともつかない気持ちに襲われた。

そして、祭壇からその布を取ると紙でくしゃくしゃに包み、唇をキッとかみ締めて、

あざけりの笑い声と視線に包まれた場をしっかりとした足取りで立ち去った。

男の子の足取りはだんだん速くなった。

通りの喧騒も、人々たちの声も、建物も、全ては遠のいていった。

城壁から出てしばらく走り人影のないところにたどり着くと、

しっかりとかみ締めていた目から涙がこぼれ落ちた。

そして、地面に顔を伏せると泣いた。

悔しさや恥ずかしさではなく、ただただ、自分の羊のことを思うと涙が出てきた。

しばらく、そこで佇んだあと、立ち上がると男の子は歩き始めた。

足取りは重く、まだ出来事をどう考えたらいいかわからないまま、家路を目指した。

すべてはどうでもよかったが、ただただ、家に残してきた羊たちのことが気がかりだった。

男の子は歩いた。

ずっと歩き続けた。

夜になっても歩き続けた。

立ち止まると何かにつぶされそうで、歩き続けた。

夜が明けても歩き続け疲れ果てると、その場に横になった。

気がつくと日が傾きかけていた。

家はもう間近だった。

立ち上がると、男の子はまた歩き始めた。

星は、支えだった。

星の輝きに包まれながら男の子は歩いた。

どれくらい歩いただろう。

ふと、ある光が目に留まった。

すべてがシルエットになっている中で、一つの光が小さく星のように輝いていた。

男の子は吸い寄せられるようにその光に向かって歩いた。

近づくと、それが家の中に下げられたランタンの灯りだということがわかった。

みずほらしい小屋で扉がないためにその灯りが家の中からもれていた。

どうして、こんなところに灯りが、と不思議に思って近づくと、そこに人が佇んでいた。

そして、その真ん中には、一人の生まれたての赤ん坊が薄い布にくるまれて、

馬のえさ箱の中に寝かしつけられていた。

その子はこの寒さの中で、安らかに眠っていた。

その子の巻き毛の栗色の髪の毛は、ランタンに照らされて黄金色に輝いていた。

男の子は、自分のうす茶色の羊のことをふと思い出した。

そして、手にした織物のことを。

意を決して、扉を叩いた。

中から男の人が驚いた顔をして出迎えた。

男の子は、つまらない織物だけど、これをその男の子にかけてあげてほしい。

と言って、紙からその布を取り出した。

男の人はこころよくその願いを受け入れると、その布を手に取った。

そして、驚いた声を上げて言った。

「このような高貴なものをこの子に差し上げていただけるのですか。」と。

男の子はその意味がわからず相手の顔を見た。

その男の顔は明るく照らされていた。

手元を見ると、その布は黄金色に輝いていた。

男の子は目を疑い、立ち尽くした。

その布は、幼子にかけられると、更に輝きを増した。

それは、あたかも幼子から放たれる光に輝いているかのようだった。

そして、その輝きは部屋中を黄金色に変えていた。

その輝きは、その幼子の顔と髪を照らし、顔には微笑みが浮かんでいた。

男の子は、何が起こったかわからないまま。

その家を立ち去ると、荒野に向かって歩き始めた。

空の星たちは、その小屋からこもれ出る明かりで更に輝きを増しているかのようだった。

そして、星だけでなくたくさんの天使たちが暗い空で輝いていた。

天使たちは、口々に微笑を浮かべ、喜びの歌を歌っていた。

男の子は急いで自分の羊たちの下へ帰っていった。

家の羊小屋にたどり着くと、小屋からは明るい光が漏れていた。

男の子は、高鳴る胸を抑えながら中に入ると羊たちの中で、

明るく黄金色に輝く一匹の子羊が男の子に駆け寄ってきた。

男の子は、しっかりとその羊を抱きしめた。

そして、羊たちの群れの中で一晩を明かした。

空には、相変わらずたくさんの天使たちが、喜びの歌を歌っていた。

男の子は眠りについた。

 

2008.01.18.

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