いつも目の当たりにしていたはずなのに、改めて気がつく花があります。
その中の一つにハナミズキがあります。
街路樹としてたくさん植えられて、春先によく花を咲かせていたはずなのに、
まったく意識に上っていなかったことに気付かされました。
それは、ある生け花展でした。
活けられていたハナミズキが古風な入れ物とマッチして、その朱に近い淡い赤がとてもきれいでした。
日本の落ち着いた伝統的な色合いという感じでした。
あとで、ワシントンに桜を送ったお礼として、アメリカから送られてきた洋風の物だと聞き、
とても驚きました。
活けられた花から自然の花の美しさに気付かされるという体験はほとんど初めてのような気がします。
同じ日たまたま立ち寄った公園にはハナミズキが満開に開いていました。
その美しさを感じつつ、やはり意識は枝の成り立ち、花の付き方に移っていきます。
多分、その中にその植物の持っている、流れや力、
それに法則性を感じることができるからではないか、と思います。
それは、自分の中に流れているものと呼応していて、
時として背筋を伸ばしたくなったり、光りに向かって開きたくなったりします。
ハナミズキの花です。
ハナミズキは4という数字で構成されています。
葉っぱが両側についたものが90度のずれで付いていきます。
そして、その伸びはやがて花のところで終局を迎え、その相互の物が一度に現れ、十字の姿になります。
ハナミズキの花びらはほとんど葉っぱに近いような姿をしていて、上の方でつながっています。
そしてその中におしべやめしべの集まりを大切に携えています。
十分におしべやめしべを育てた後、その上の扉の繋がりがとかれ、子どもたちは外の世界に開かれます。
この瞬間をおしべめしべたちはどのような気持ちで迎えるのだろう、とついつい考えてしまいます。
ハナミズキは成長の突端のところに花を咲かせますので、もちろんそこから先に延びていくことはできません。
その代りとして、伸びていくものが二つあります。
それは、花の下で手の役割をしているかのような二つの枝です。
花には必ずと言っていいほどこの二つの枝がセットで付いています。
花として開きながら、両手は光に向かって伸ばしているかのようです。
でも、葉しか出ていないつぼみもあります。
葉しか出てないつぼみには2種類ありました。
2枚の葉っぱを広げているもの。
それから花のように両手を開いているもの。
でもその頭には花を付けずに葉をつけています。
枝のどの場所に花をつけ、どの場所に葉をつけるかを見ていけば、
花をつけるためにどれだけのエネルギーが必要か、ということが感じ取られてきます。
ハナミズキは花をつけるためにはかなりの力が必要な気がします。
それにしても、葉の透ける美しさ、花の透ける美しさに見とれてしまいます。
少し歩いた先にヤマボウシの花が咲いていました。
ヤマボウシの花はハナミズキとよく似ていますが、花の色合いがなく、花も小ぶりで質素な感じです。
でもその分、花に迷いがないかのようにすっと空に向かって開いています。
その姿は、心の襟を正し、背筋を伸ばしたくなるような姿です。
花を観察してみると、ハナミズキと 同じように4の数字で成り立っていますが、
自分自身を伸ばすのに意識が向かい、両手がほとんど見られません。
あっても、ほとんど縮こまっています。
ほかの、葉の芽たちも枝分かれせずに二枚の葉を見せています。
そこには原初的な十字の花と二枚の葉が一つのリズムを作り出して、響き渡っています。
それぞれの枝たちは、それぞれ違う響きを生み出しているのでしょう。
また、違う木の枝たちは、いたるところでそれぞれの響きを持ちながら、
世界に、光りに向かって自分自身を開いています。
植物たちの中を歩くと、その携えられた法則性をそれぞれの姿で表しているのに包まれます。
自分の心が広がり、整理され、神々しさを感じるのは、宇宙の法則性の中に包まれるからでしょうか。
2009.05.15.