123 摩天楼 skyscraper(空をひっかくもの)

最近気になって撮り続けているものがあります。

それは、木の響きです。

風に揺れる木々の葉が響きながら空気の中に散っているような様はとても心地よいものがあります。

ついつい夢中になって、いろいろな木の葉の響きを撮ってしまいます。

それとは全く違う葉から空気への溶け込み方を発見しました。

いつもそのそばを通り過ぎていて、はじめて気づくことがあります。

この梅の枝もその一つです。

いつも通る道の塀のところから伸びている小さな梅の木の枝です。

同じ木であっても、場所によって枝の一年間の伸びは様々です。

この梅の枝のように、一年間、というか、

花が終わって葉芽が3月に開いた後の2カ月余り、

1mほど伸びる枝があるかと思えば、数cmしか伸びない枝もあります。

今年は、やけにこの梅の枝の伸びが気になります。

太い枝から、シュ〜ッと空に向かって伸びあがっています。

葉っぱの階段をのぼりながら、空の高みに向かって伸びていっています。

そして、上のほうの葉っぱは小さく薄く、

色合いも赤っぽくなり光に照らされて消えて行っているか、のようです。

 

それは、ある体験を思い出させました。

それは、ドイツのケルン大聖堂を見た時の体験です。

ヨーロッパでもっとも高い大聖堂は雨霞の中で、

その双塔の上部を霧の中に溶かし込んでいました。

それは、大きな岩山を思わせる存在感でした。

 

同じような体験を、東京の新宿の高層ビル群でも体験しました。

高層ビルの頭は空の中に溶け込んでいました。

梅の枝とケルンの塔という、大きさも違うまったく似つかわしくないものに

類似点を見出すのは不思議なことです。

 

ケルンの大聖堂は、ゴシック教会建築の代表的な建物です。

ゴシック建築に関して、亡くなられたリーム先生が、

音楽との関連性ということでお話をしていただきました。

その時期の音楽が一つの調から次の調へと次々に展開していって、

あたかもそれぞれの調をどんどん積み重ねていったかのようで、

その時期の建築も、天を目指し、石を次から次へと高く積み上げていき、

塔の突端のほうでは穴がたくさん空き、空気と混ざり合っているかのようです。

それはあたかも、高みを目指したものが高みに到達する手前で、

意識を失いながら消え入っているかのようです。

 

同じような動きを梅の枝に感じます。

葉の一枚一枚を携えた一節一節を積み重ね、どんどん高みを目指します。

そしてその突端で空気の中に消え入っていくかのように、

葉を薄く小さく、色あせた感じで空気に溶け込んでいます。

長く延びた梅の枝の突端の芽が開かずに次の年には枯れてしまうことを私は、

とても不思議に思っていました。

そして、その葉のつき方、消え入り方を見て初めて納得がいきました。

梅の枝はその伸びを空気の中に溶かし込んでいたのです。

それまで、植物には、伸びていって茎をのばし、枝を伸ばしていく力、

勢いを止めて、空気の中で目覚めながら、展開して花を作る力、

の二つの力があることは分かっていました。

それに対して、植物の成長には、第三の動きとして、芽をのばすわけではなく、

かといって花をつけるわけでもなく、世界に消え入っていく動きがあるということがわかりました。

そして、それから伸びていくつぼみをつけるためには、ただ伸びていくだけでなく、

まだ十分に力を残しておかなければならないのだ、ということにも気付きました。

 

よくよく眺めていると、このシューッと伸びた枝は、

七面鳥が尾っぽの羽をピーンと立てたようでもあり(クジャクの尾のほうが美しいでしょうか?)、

祭りの時に踊り手が手に持ったササをピーンと立てているようでもあります。

ネーティブアメリカンの人たちもどこかにピーンと立てた羽根を付けているような気がします。

気がつけは、まわりは様々な塔が乱立しています。

松の木々は、その突端を塔にして伸ばしています。

いたるところの塔が現われています。

しっかり塔として伸びた後、松の葉を伸ばしながら、世界に開いていきます。

試験管洗いの登場です。

竹も空に向かって真っすぐに伸びていっています。

すべての植物たちは、夏至の太陽の高みを追うかのように。

空の高みに向かって伸びていき、消えていくかのようです。

キリスト教の祭りでは、この時期に昇天祭のお祭りをします。

ドイツ語ではちなみに摩天楼のことをWolkenkratzer(雲をひっかくもの)と呼びます。

 

2009.06.05.

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