前回のつれづれで紹介した写真の一枚目の花の名前を
お花の先生に教えていただきました。
ランタナというそうです。
それで、うかつでした。
というのも前回
<それぞれの花が五角形を保ちながら全体として五角形を構成しています。
いろんな花を観察していると、このように一つ一つが五角形をしながら、
全体として五角形の形をしたものが結構あります。
ひょっとして五角形をしているかもしれない、と思ってみないと見ることは困難です。>
と書いていました。
このランタナは花弁が4枚なので、全体として五角形を構成するなどと思ってみなかったので、
わからなかったのですが、よくよく見ると、全体で5角形をしていました…
開いている花の集まりの、
<隣のつぼみの集まり>のいちばん外側のつぼみの数を数えてみると10個ありました…
それぞれの花弁は4枚なのに、全体として5の数を構成している
どうしたというのでしょうか。すべては5に向かって進んでいくかのようです。
* * *
気になっている梅は気がつくともはや先端を霧の中に突っ込んではいませんでした。
先までしっかりとした緑色に変わっていました。
上への動きは止まり、すべてが静止しています。
そして、梅の枝はこれまで自分が向かっていた意識を回想しているかのようにも見えます。
祭りが終わったあとの次の日のようでもあります。
それまでの喧噪のこだまや人々の思いや意識が空の空間の中に巻き上がり
広がりながら消えて行き、そのあとには、ゴミや竹ぐしが散らばり、
撤収されなかった出店や飾りが取り残された感じに良く似ている気がしました。
それは、高みを目指した菜の花の終わりにも似ています。
空から引き揚げられなくなった塔は突然に作業を止めてしまったようでもあります。
そして、それぞれの人々は熱狂から覚め、
自分の仕事を思い出し、それぞれの場所に戻っていくかのようでもあります。
街路樹のハナミズキも葉が生い茂り、
風にゆれながら、あの花の時期がうそのように沈黙しています。
夏至の最高点を迎えてすぐにこのような状態が訪れるとは考えもしないことです。
それは、夏の暑さに向かう中に、
すでに、静けさに向かう種や影がさしかけているかのようでもあります。
もう一つ気になっている松は突端の塔を広げ始め、
周りの世界に自分自身をさらしているようです。
それは、高みを目指して伸びていった入道雲が
ジェット気流帯に到達して自分自身を広げているのを思い出させます。
松の場合は、葉が針のようにとがり、枝的な要素がとても強いので、
初めに枝的に伸びて、それが終わって展開していくのか、と思いました。
「なぜ、入道雲はできるかわかる?」
「それはね、空気や水や大地がおひさまに憧れている証拠さ。」
「大地は空の高み、お日さまのところにたどり着くことはできない。
そこで自分の中の水を空気の中に溶け込ませるんだ。
空気がおひさまに憧れて、気持ちが軽やかになって気がつくと高みに登っている。
でもほかの空気たちの中を進むから、
周りの空気と出会いながら話をしながら渦を作って進んでいくからあんな見事な雲になるんだ。」
さらに気になっていること、それはリズムです。
何度か響きあう木をご紹介したかと思います。
今回は、ケヤキを紹介します。
不思議なことに、ケヤキはこの時期、
先に大きな葉をたくさんつけた色の明るい長い枝を見ることがあります。
ドイツにいる時にJohanestriebという言葉を聞いたことがあります。
ヨハネ祭の時期(夏至のころ)に再度、
新たに枝を伸ばす木があるということだったかと思います。
松の林の中で響きを見つけました。
小さな藤の木の葉がとても気持ち良く響いています。
なぜ、入道雲はできるかわかる?」
「それはね、空気や水や大地がおひさまに憧れている証拠さ。」
「大地は空の高み、お日さまのところにたどり着くことはできない。
そこで自分の中の水を空気の中に溶け込ませるんだ。
空気がおひさまに憧れて、気持ちが軽やかになって気がつくと高みに登っている。
でもほかの空気たちの中を進むから、
周りの空気と出会いながら話をしながら渦を作って進んでいくからあんな見事な雲になるんだ。」
2009.07.03.