明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
この季節になると、やはり木の枝ぶりが気になります。
すべてをそぎ落とした後のすがすがしさと、
これからの展開のイメージが光となって空から降り注いできているようです。
今の季節の空気の中には、
何とも言えない懐かしさと夢が光の粒と一緒に含まれているような気がするのですが、
木々の枝先に詰まっている展開への思いが一因しているのかもしれません。
この写真は、昨年末の26日に撮ったもので、お月さまがほぼ半分で存在しています。
最近少し考えているのは、集中と拡散のことです。
ミクロコスモスとマクロコスモスや
ゲーテの植物のメタモルフォーゼの中の集中と拡散というテーマがあり、
そのことを考えてはいたのですが、今はよりその分野が広がっている感じです。
それは、先日大人の方々の芸術教室で山の連なりを描いたときに、
より鮮明に意識されました。
チョークで山の連なりを描いたのですが、
今までになくうまくいかず、どうしようもなくなっていて、
ふと手前の山(丘)の上に白い塔を描いてみました。
すると、とたんに画面が息づきだし、今度は遠くにそれを受けるように、
アルプスのような白い山の連なりを描きました。
そして、今までの中で一番気に入ったものに仕上がりました。
一点は世界を集約しているという感覚は、
風景の中の人の存在にも言えるかもしれません。
自然の世界全体と、
人間も含めた人間が作った人工的な一点の対比はこれから考えていきたいテーマでもあります。
自然の中の季節の流れと祭りも対比されるものかもしれません。
それにしても、
木の枝ぶりのフォルムの違いから生まれてくる空間の中に存在する気持ちの違いは
どこから起こってくるのか、と思います。
その中に植物の本質も表れている気がします。
当然のことながら、
このことは人間が介在しないと全く表に現れないことでもあります。
水たまり
君ほど黒いものはあるのだろうか、
暗黒の闇を写すことで。
君ほど白く輝くものがあるのだろうか、
輝く太陽を写すことで。
しかも、君はその二つの姿を同時に別々の人に見せている。
もう一つ気になっていることは、
反射(反映)と投影もしくは投光です。
これも、長いこと考えているテーマです。
水たまりの水面は本来水平に置かれた鏡です。
人間は鏡を垂直におけるようになってそれを自分自身を写すものにしました。
人間が火を使えるようになったことと同じほど、
鏡を使えるようになったことは大切なことだと私は思っています。
鏡による光の道筋を変えることとそこに映り込むことなどを通して、
とても大切なことにたどりつけるような気がしています。
それと、それをマットにしたものとしての雪や月、
それに水たまりの周りの水がしみ込んだ地面への光のかかわりは、
現れとして、また私たちの意識のかかわりも全く別のものになります。
それにしても、同じ水がこれほど、
根源的なものにかかわっているのか、と驚くばかりです。
これまで、
さまざまな分野のことを興味本位(?)に追及してきたことが無駄ではなかった、
という気がしています。
違った方面からのアプローチが補いながら立体的な、
生き生きとしたものに変わっているように感じ、うれしく思います。
まだ、漠然とした繋がりですが、これから先に進めていく感じがします。
これからも、よろしくお願いします。
2010.01.08.