皆さん、暑い中、いかがお過ごしでしょうか?
私は、各地を訪ねての日々です。
たまたま、時間が空いたので、その間を利用して、久々(?)の自己研修を行いました。
場所は諏訪大社、前から気になっていて、
今回も幾人かの方から諏訪大社の話をうかがって、急に思い立ちました。
何かの折に、御柱祭のことを耳にしたことがあり、
急な坂を切り出した巨木が人を乗せ落ちていくシーンが記憶に残っていましたが、
それが諏訪大社の祭りであるということも最近まで分っていませんでした。
今回、何の下調べもせず、社が四つあることも、
どこで降りたらいいかも直前までわからない状態でした。
あずさ3号に乗って辿り着いたのは、
下諏訪駅、昔「あずさ2号」という歌があったように思いますが、
これは東京から松本なのか、松本から東京なのか、
などと考えながら諏訪の地にたどりつきました。
「駅から歩いて先ず下社の秋宮に辿り着き、
そこからすぐ横の旅館ホテルにまず荷物を置いて。」と考えていると、
12時頃なのに部屋を用意していただき、
諏訪湖を眺めながらお風呂に入ってしばらく昼寝をして、前日までの疲れを取りました。
夕方には、スナック徒然と名前を変えるルナという喫茶店で
サービスのコーヒーをいただき、いざ秋宮に向かいました。
境内には幾本かの大きな欅の木がそびえ、まず、神楽殿が迎えてくれました。
そしてその後ろに拝殿があり、
さらに拝殿と塀に囲まれた四角い敷地の中に宝殿が二つ並んで立っていました。
そして、その周りの四隅に御柱が立っていました。
秋宮の拝殿は残念ながら修復中で見ることはできませんでしたが、
背後の林の中に立っている御柱を見ることが出来ました。
枝を落とし、皮を剥がれたモミの木の大木の先端の三面を三角すい状に尖らせ
(他の地域では四角すいらしい)人の手で立てられた原初的な柱が、
たくさんの自然な木々の中で、そびえる姿がどのような印象を与えるかを感じようと試みました。
というのも、柱を垂直に立てていく、
という行為はシュタイナー教育の中の家づくりのエポックの中で、
とても重要な位置を占めていると考えているからです。
その後に、社務所に赴き、一つのことを質問したところ、
神主の中の一人の方が、その場所についてきてくださり、
一つの話から次の話へとたくさんのことを説明していただきました。
上宮と下宮との歴史的な歩み、紋章について、ご神体について、
さまざまな貴重なことを教えていただきました。
拝殿の修復の寄付をさせていただいた後、春宮へ歩いて出かけて行きました。
途中看板がなく、犬を連れた女の子に道を尋ねて左へ折れると、
春宮が大きな木々の林の下に見えてきました。
四角に囲われたご神体の杉の木を上から眺めながら急な坂を滑りそうになりながら下りていきました。
秋宮とは違って人がほとんどいない静かなたたずまいの境内を進み、
御柱を感じながら、神楽殿を過ぎ、拝殿のところまでやってくると、
とてもしなやかな、65歳ほどの男性の方が、慣れた手つきで、中央ではなく、左側でお参りされていました。
「どうして、中央でなく、左の方でお参りされるのですか?」と質問したところ、親切にお答えいただき、
それから、御柱を運ぶ時、御柱を建てるとき、の詳しい様子、
春宮から秋宮への御玉を移すときのお祭りの様子、古くから残るお祭りのこと。
さまざまなことを教えていただきました。
その姿勢とお参りの姿の素晴らしさについて話をすると、
両親とも神主の家柄であること、自分も神主をしていることをお話いただきました。
お暇の挨拶をして、ふと気が付くとあたりはどっぷりと暮れていました。
教えていただいた、お参りの際に自分の中で唱える短い言葉
「祓いたまえ。清めたまえ。守りたまえ。」を心の中で唱えながら、
御柱が曳航され、御玉が移される道を秋宮のそばの宿に向けて急ぎました。
途中、道を聞いた子どもと再度顔を合わせることが出来ました。
小人さんだったのかな?