165 星の話・26
「パパってさー、昔から星のことばっかり考えてたの?」

いいや、そうでも無かったよ。

「じゃどうしてそんなこと考えるようになったの?」

そうだね。

それは、シュタイナー教育について学ぼうとドイツに行った時のことかな。

最初に行った、ユーゲントというところで変な本見つけたんだ。

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天体のことが書いてある本で、三つ葉のクローバーや五つの花びらの形が載っていて、それが水星だったり、金星だったりしたんだ。

何なのこれ?って眺めていると真ん中に地球が描かれていて、地球を中心に一年間太陽が動くと三つ葉の形になったり、金星は8年間周ると五つの花びらになるということが分ったんだ。それから、考え始めたわけ。自分たちは太陽を中心に回っているのかもしれない。でも、よくよく考えてみると、自分が地球にいる限り、最後は地球を止めて考えられないと実際の体験と同じものは得られない、ってことが分ったんだ。そこから、いままでの太陽中心の星の動きを、地球中心の動きに換える作業を始めたんだ。その時のカギは黄道12宮だった。それは、それは大変だったけど、でも、それからいろんなことが分ってきた。

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そして、しばらくたったある冬の日。空に満月が出ていた。寒い夜空に満月が高くリンとしてそびえていた。

あれ?っと思った。どうして月が高いところにあるように感じるんだろう?冬なのに?

っと思って、黄道12宮の計算式(?)やらなんやら引っ張り出して考えたんだ。

そして、冬の満月が高いんだ、ということに行きあたった。

それは、こん棒で頭を殴られるような体験だった。

—時々、あるんだけどね、こんなことが—

理科のことはよくわかっていると思っていたのに、

中学校の理科の先生までしたのに、こんなことも知らなかったんだ、って。

その場で、ひざまづいてがっくりと肩を落とした。稲妻がとどろき、『ベートーベンの運命』の曲が流れてきた(イメージです)。

それから、地球を中心とした月と太陽の関係がよりわかるようになり、少しづつ人の意識や宗教的なこととの関わりを感じるようになった。

そして、あれは、中秋の名月の日だった。那須の夜の森を月を見ながら散歩していた時のこと。

「まだあるの?」

「膝が折れることが?」

松の枝の影が道の上にまだらな模様を作っていた。

歩きながら、ふと、あのお月さまの背後には何の星座があるかな?って考え始めて立ち止まった。そして、その背後に魚座があることに気が付いた。

魚座と言えば、復活祭の太陽がある星座。

そ、そうか!どうしてそんなことに気が付かなかったんだろう?

日本では復活の星座である魚座を太陽でではなく、月でお祝いするんだ、それが中秋の名月であって、月が復活するお祭りなんだ。

そう思いながら、その日に、子どもたちとコネコネした白いお団子を思い出した。

あっ、あれってイースターエッグ?月にいるのはイースターバーニー?

それから、日本の祭りとの関係を探すようになって、いろんなことが分ってきた。

そして、昔の祭りがいかに月の動きと関わっていたか、っていうことが分ったんだ。

なにか新しいものを探しに世界の果てに行ったんだよね。

ところが気が付いてみると、そのことを通して、より身近なことが理解できるようになっていったってわけ。

今も、こうやって話していると、新たなことを発見するんだ。

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