恩納村のホテルに着いてから、

「明日は仕事をしながら少し周辺を車で周ろう。」と考えていましたが

朝起きると、ものすごい豪雨、

隣の食事場所に行くのに川の流れの中を歩いていくようです。

雨は飽きることなく降り続け、

近くの地域では避難勧告が出ていて、携帯が警報を鳴らしていました。

仕方なく、一日中ホテルの中で仕事をすることにしました。

夕方になって何とか雨が収まり、

レンタカー屋さんおすすめの沖縄そばを食べに行きました。 

*  *   *

沖縄は昔は琉球王国と言って独立の国家でした。

そして、アジアとの交流が盛んなところでした。

その名残のせいかどうかわかりませんが、

他の日本の地域では見られないことがたくさんあります。

前回沖縄に行った時のことを前のつれづれでも書きましたが、

沖縄のスタバで二人が外国語を話している、

と思っていたらなんと沖縄弁だったという体験をしました。

まず空港について、空港の方々が皆さん

アロハシャツを着ていてラフな感じです。

街を歩くと、建物の構造が全く違います。

どちらか、というとインドの建物に似ている気がします。

一旦停止の場所にある横断歩道を歩いているときに、

停止するはずの車が止まらずに突っ込んできたこともありました。

こんな体験は、ギリシャ以来でした。

ホテルの前にお墓があったのですが、なんとも不思議な形をしています。

第一ゲーテアヌムの屋根を想わせるような、

シュタイナー建築にも通じる有機的な曲線でできています。

そのほかにも、そのおおらかさはいろんなところで見られます。

車で走っているときに、沖縄県警のパトカーが停まっていました。

よく見ると少しくたびれています。

運転手の注意を促すために置いてあるようです。

よく、非常灯だけがポールの先についていたり

パトカーの看板の上に非常灯が付いているのを見たことがありますが、

廃車にしたパトカーをそのまま利用しているのは初めて見ました。

また、ある看板を見つけました。

ピザ・サラダ・ドリンク食べ放題、と書かれています。

面倒なのでドリンクも食べ放題に入れてあるのでしょう。

これは面白い!と帰ってから得意そうにこの写真を見せるのですが…

「これがどうかしたの?」「食べ放題で結構安いじゃない?」

「エッ?ドリンクが食べ放題?」「いいんじゃない、べつに。」

みんなそんな反応です。

多分、ハマるツボが違うのでしょう。

空港にある張り紙がありました。

まず、見たことのない張り紙です。

まだ不発弾が日常的にあるんだ、

と驚きを隠せません。

戦争の跡がいまだに残っているのを感じます。

この南国的なおおらかさと周りを取り囲む海の波、

それに戦争の傷跡が三線の響きの中に包み込まれているようです。

首里城に行きました。

城壁は曲線的ですが、角がとてもシャープで、表面はとてもなめらかです。

曲線性と直線性が見事に融和しているのを感じます。

入口のところに民族衣装を着たガイドのおじさんが立っていました。

話を聞くと、なんとこの城の城壁はすべて以前の資料を基に、

新たに作られたものだそうです。

この下の地下に日本軍の本部基地があったので、

跡形もなく完全に壊されてしまったのだそうです。

「そこへの入り口はそこの道を下に降りたところにあるけれど、

柵がしてあって中には入れないよ。」

と教えてくれました。

作られて、どれくらいたったのか、

城壁はすでに歴史的な風格を持ち始めています。

2019/8/16井手芳弘