173 光と色の話・5
「そろそろ梅雨も明けるかな?」

「<光に包まれている体験>って言ったってね、そろそろキラッていう輝きもほしくなるよね。」

「お日さまが空で輝いて、木々にはくっきりとした影が出来、枝や葉は光を浴びながら風に揺れる。」

***

ところで、影って実際にはないって知ってる?

***

「はい??」

はい!

「また始まる?」

また始まる!

「ゆめ、こわすつもり?」

こわすつもり!

天気がいい日に人が野原に立っているとするじゃない?

そしたら、地面に影が出来るよね。

でもね、そこにあるのは、影じゃなくって色が深くなった緑。

色が濃くなった緑が、立っている人の足から人の形に繋がっているだけ。

人が歩けば、その濃い緑の色の場所が動いていくだけ。

外の世界には、影なんて存在しないのさ!

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影は人の考えなんだ!

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あそこに光があって、ここに物があって、ここに影が出来ている、っていう一連の考えなんだ。

でも、その考えって、人が意識する前から無意識的にあるから、自分の考えだってことが分らないのさ。

たとえばある岩を見た時、色が薄く見える部分と濃く見える部分がある。でも全体は同じ色合いのはずだから、まだらに見えるのは光が当たっている部分とそうでない部分があるからだと無意識に考える。同時に、その光がどこから降り注いで来ているかも無意識に考える。こうして光を実感することができるんだ。

だから、本当は降り注いでいる光なんて見えていない。

人は無意識のうちに考えることで光という考えを感じるわけさ。

光は見えてはいない。

**

光は考えなんだ!

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「なんだか、頭が朦朧としてきた…」

朦朧とするのは季節のせい!

影はクリアー!光はクリアー!

「……」

「それじゃ、聞くけど、光はないっていうことなの?」

「影はないっていうことなの?」

いいやあるけれども、ぼくらの五感では掴むことが出来ないってことさ。

それって、神さまの存在みたいなもの。

神様って、それだけ取り出して存在を証明しようとしても出来ない。

でも、人の行ないや表情の中に神さまの存在を見てとれることがある。

人は何で輝いていると思う。

「お日さまの光を受けているからじゃない?」

「劇場でスポットライトを浴びていたり、とか。」

というか、そんなことじゃなくて、その人の表情が輝いていたりするじゃない。

その輝きってどこから来るのかな、って思って。

「その人の内側から生まれてくるんじゃないの?」

でも、その人が輝こうと頑張ってみても駄目じゃない。

自分自身が光り輝く存在になりたければ、自分が光り輝こうなんて考えずに、光り輝く高い存在を見ていればその人にその光が射しかかり、光り輝くんだと思うんだ。

「そんな人になりたいってわけ?」

そう、できれば…

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