179 光と色の話・9
「秋の日って気持ちがいいね。」

「暑くもなく、寒くもなく。」

……

「なに黙ってんの?」

…ボーッとする…

「どこかおかしい?(まあ、いつもどこか変だけどね)」

秋になるとボーッとしてしまう。

「いつもボーッとしているように見えるけどねぇ。」

特にボーッとする。

光が当たっている石を見たらボーッとなる。

石の後ろの深い影を見た日には、ボーッとしすぎてぼっとぅ(没頭)してしまう。

「…」

水面が風に撫でられ、テロテロと輝いた日にはトロトロと溶けてしまいそう。

風に揺られている色づいた柿の実を見たら、ボーッと懐かしくなる。食べたくもなる。

昼間の焚火の青紫色にたなびいていく煙を見たら、わらの上に伏せてボーッとしたくなる。ああ、いいにおい。あたりは静けさに包まれる。神さまの慈愛だけが空から降ってきているよう。

「ああ、目がいっちゃってる。」

「夏の疲れ?」

「なまけ病?」

それは、柿の実が赤いからかもしれない…

遠くの家の壁が光を受けてほんのり赤みが差しているからかもしれない。

深い影が青く色づいているからかもしれない。

「かなり重症…」

ぼくらの周りは光が呼吸している。周りの空間よりも比較して明るいものはほんのりと赤みが差し、周りの空間よりも比較して暗いものは青みを帯びてくる。要は、比較の問題。色合いは周りとの関わりの中で変化していく。

目に見えない熱も同じようなもの。

柿の周りの空気の熱が強く、柿が熱を吸い込んでいるときは青みが差して、緑のままだけど、周りの熱が弱くなってくると柿の中の熱がそれと比較して勝って来るから、次第に赤みを帯びてくる。ちょうど、提灯の明かりが日が沈む前にはわからないのに、お日さまが沈んで、あたりが暗くなってくるとボーッと明るくなっていく感じ。

そう、そのボーッが私をボーッとさせるって訳。

あああそこにも、あああそこにも。

急がなくっちゃ。

「どこへ?」

日向ぼっこの場所を探しに…

自分の体も心も温めて

自分全体をボーッとさせるんだ…

「柿になりたいの?」

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