183 光と色の話・13
「虹の話を聞いて、何があるのか、何がないのか分からなくなってきた。」

だよね。

「お日さまの光のこともわからなくなってきた。」

だよね。

「それって、どこかで聞いたセリフ。」

だよね。

「・・・」

まあ、現れているものの周りには、沢山の現れていないものがあるってことだよね。

それは、単にそう思うってことじゃなくって。実際にその周りを取り巻いているってこと。

もちろん、自分がそこに存在しないと、そのことも起こってこないことではあるけどね。

だから、自分がここにいることで、周りの世界に生み出されているものがある。

それは、世界の中に、自分自身と出会うものがあるという証しでもある。

現れている物は目に見えないものの一部だということを感じ、それに対して敬意をあらわしていく。分らないことがたくさんあるってことを思いながら。

この世に存在しているものは、自分の中にも存在している。

生きていく中で、二つの物が出会うんだ。

光は喜び

光は優しさ

イチョウが色づいているのは、

イチョウの葉が黄色くなったから?

光が葉の中に沁み渡っているから?

自分の心が色づいているから?

光は葉を育て、黄金色に輝かせ、

光は空気に風を生み出し、

その光のしずくにひとときの舞を与える。

イチョウの葉が落ちながら蝶になるのは、

イチョウの葉のせい?

風が葉を飛ばすから?

自分の心の中に気持ちがあるから?

イチョウの葉が木に止まっている。

小刻みな震えとともに、

止っているものは、

私の心、

静まった私の気持ち。

鳥が群れをなして飛んでいる。

飛んでいるのは、私の気持ち。

私は、世界と出会う。

世界は、私と出会う。

光は喜び、

光は優しさ。

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