189 光と色の話・19

春の光だね。

空気の中にも少ししみ込んで行ってるよね。

蝶々と妖精がフラフラと風に乗りながら飛んでいくよね。

軽い酔いとともに。

時々、お日さまの顔ってどんなんだろうって考えるんだ…

「お日さまには顔なんてないじゃない。ただの円いのっぺらぼうだし。」

だよね。お日様直接見ると、確かに顔はないんだけど、

降り注いでいる光を見ていると、

というか、

辺りの物が光を受けて輝いている様を見ていると、

なんだかそこに顔があって、そこに表情があるような気がしてね。

笑いかけているような…

光が差しているとそこに何かわからないけど、

雰囲気というか、意識というか、語りかけというか、

そんなものがある気がして、

なんだかそれって、

生き生きとした気持ちが表情から表現されているような気がして…

だってさ、人の表情って不思議だよね。

今そこにいる人の顔の表情から、その中のその人が読み取れるじゃない?

その人の顔のつくりの中にも確かに刻まれた深いものがあるように思うけど、

その顔の造りを動かして生まれた表情の中に、その人の中にあるものが表われているような。

おじいちゃんやおばあちゃんや、好きだった人を身近に思い浮かべると、そこに表情があって、その表情の中にその人の考えや意識や、そう、その人がいるって感じがする。

見守られている、って感じもその人たちの表情から光が出てその光で包まれている感じがするし。

だから、お日さまの光ってなんだか、お日さまの表情から生まれているような気がして…

ベールが掛っていてね、本当の顔を隠しているような気がするんだ。目では見ることのできない顔をね。

「なんだか、難しい話だけど、要するに、お日さまに表情がある気がするんだね。」

そう、子どもたちも、小さいうちはお日さまに笑い顔を描くじゃない?

大きくなったら、お日さまに顔があるなんておかしい、って描かなくなるけど。

「どうして、突然そんな事を考え始めたわけ?」

新約聖書の中のある部分を思い出したんだ。石打ちをされた女が助けてくれたイエスの顔をずっと思い浮かべて、それを頼りにそれからずっと生きていったってことを。

希望の光とか言うじゃない。

神さまの顔から輝き出ていたんじゃないかって。

そう、それとR・シュタイナーという人が書いたお祈りの言葉の中で、お日さまの光は神さまの御顔からって書いてあってね。それも考えていたわけ。

春だね。

「ふーん、そうなんだ…」

「今日はなにも言わないでおこっと」

春は光の中

これから花開いていこうとする枯れ木への想いの中

その想いは、光の中

そして、私の心の中の春の中

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