ギリシャと聞けば、パルテノン神殿、と子供の頃から刷り込まれていた(なぜか宮殿として)場所です。小高い丘の上に立っている、という噂はどこかで小耳に挟んでいました。
アテネのホテルに着いた時から、その勇壮な姿をそそり立たせていたのですが、ほかの地を訪れていたため、やっと3日目にして訪れることができました。
その場所は、アテネの街のどこからものぞむことができるいわゆるアテネの街の象徴的な場所でした。ホテルからそれほど遠くないところにそびえている丘を目指して歩いていきました。エーゲ海の島のおうちのような場所を通りながら、野良犬たちが気持ちよく寝ている芝生を通り過ぎていくとパルテノン宮殿の入口につきます。
そこでお金を払って、坂を上っていくと、エンタシスの巨大な柱が建っている入口につきます。
その入口を過ぎると、丘の広い場所にあのパルテノン神殿がそびえていました。正面に8本、そしてその背後に8本、横は17本のより巨大な柱が並んでいます。そこには工事現場の足場が高く積まれ、大型の据付のクレーンが置かれ、一歩、一歩復元されていました。よく見ると、新たに復元されたものは、かけた部分が真新しい白い大理石でつながれていました。バラバラになったかけらを探し出し、なくなった部分に合わせて大理石を削り、当てはめていく作業は気の遠くなるような時間と忍耐を要します。
後で知ることになるのですが、この神殿はローマの国教となったキリスト教徒によって異端の宗教として壊されたのでした。屋根のつまのところにあった沢山の神々たちの像はことごとく壊され、落とされたようです。その後、キリスト教の教会として使われ、それからかなり後になってトルコ軍の攻撃による爆弾で大きく壊されたとのことでした。
この神殿の周りをぐるっと回るとそのそばに女神の柱が立っている神殿がありました。パルテノン神殿と比べるとはるかに小さなこの神殿はしかし、とても聖なる神殿でたくさんの神たちが祭られているとのことでした。「なぜ、この神殿がより聖なる神殿なのか?」その問いを持ちながらしばらくこの丘の四方を眺めるべく歩き回ることにしました。そして、
その女神の柱のある神殿から望む景色が、ミケーネのアガメムノンの神殿から見る風景と近いものがあることに気がつきました。
ほかの三方が海だったり、山だったりするのに対し、そこからの景色はアテネの街が広がり遠くを山脈で取り囲む中にいくつかの小高い丘がある景色でした。そこは、眺める人が自分の気持ちを込められるような風景に思えました。
ふと、思うことがありました。日本の古代の建築というと神社ですが、そこはいまでも信仰の対象として祀られ、しめ縄が張られ、お参りの対象となります。しかし、ギリシャのいたるところで見られる遺跡にお参りする人はいません。歴史的な建造物としての価値を認めながら、しかし、そこには現代人としてその精神性とのつながりが全くなくなっていることも感じました