195 ヨーロッパ研修・5
もう、この季節の白くかすんだ空気の中に遠くの山々が青白くなって消え入るように、ヨーロッパ研修のことも遠くのことのようにぼんやりしています。

ドイツでのライアとゴングの仕事を終え、最終目的地パリへと向かいました。パリでの目的はパリから1時間ほど離れているシャルトルの教会を訪ねることです。

TGVという世界最速の新幹線にチューリッヒから飛び乗り、日本語を話す変なパキスタン人と道連れになり(タンドリーの中がどうなっているかを教えてくれました。)パリに着き、地下鉄で宿に向かうことに…  案内書で地下鉄の路線図に丸をつけてくれたのですが、何せ文字が小さくて薄暗いので、何が書いてあるかわからない。ホームでどっち行きの列車に乗ればいいか、さっぱりわからず、途方に暮れることに。さっぱりわからない!近くの人に「city center?」とききながら、列車に飛びのり、乗り継ぎながら、全神経を列車のアナンスと駅の看板に注ぎ込みながら、目的の駅に到着。でもどっちに行けばいいかわからない。なりふり構わず、そばのパブレストランに入り込み、近くの他のホテルに飛び込み、何とかホテルに辿り着く。結局、初めてのこと、初めての場所は、何にもわからない。ただただ全神経を集中させて、頭を働かせ、その場を打開するのみ。

そうやって辿り着いた次の日、ホテルの人に列車の乗り方を聞き、目的のシャルトルへ。

途中で列車を下ろされ、バスに乗せられながら(線路の臨時工事だったらしい)訳が分らずやっとシャルトルのノートルダム寺院に辿り着くことに。

その中には美しいステンドグラスが立ち並んでいる。新たな体験を探しながらその中を歩いてはたたずむ、自分の中の今までの体験やイメージを総動員させながら。

その内に、ある違和感に気が付く。柱や天井などは正確無比な作り(もちろん正確じゃなかったら崩れてしまう)それに対して、敷石の床の窪んでいること。正面入り口のところが一番窪んでいる。それも中央部が。それはあたかも、私たちの住んでいる世界は正確ではなく歪みがあり、私たちの上にそびえる精神的な世界はすべてがつじつまの合う世界であることを表しているような。

おまけに、そのひずみのある床の中央には、椅子に隠れて、人生の歩みを表すような迷路が表されている。

隣の人が、「この迷路を昔の人は膝まづきながら歩いた。」と説明していた。おもむろに膝まづいてみる。

そして、気が付いた。この地面の窪みはいい加減なのではない、ということを。

入口から入って、最初のステンドグラスが左右に見えるところであり、柱と柱の中央部に膝まづく、四本の柱に囲まれたその場所からは祭壇の一番下の階段の高さに視線の位置が来る。さらに次のステンドグラスの場所に膝まづく、次の階段が視線の位置に。更に、次のと、一つ一つの階段が視線の位置に。そして祭壇の前に辿り着いた時、その視線は初めて祭壇の床の位置に重なる。そこまでステンドグラスの数7つ、祭壇の下の階段7段。

一対のステンドグラスを体験しながら、一つ一つ意識は次のレベルに到着する。この体験を何度も繰りかえす。

その他にも、さまざまな発見をしつつ、帰路に就く。

次の日モネの睡蓮の連作のあるオルレイ美術館を訪ねました。

ここでも、たくさんの発見(一つは絵には関係のない発見)をしました。

すべてを終え、最後に飛行機に遅れることのないように、万全の準備をして眠りに。

次の朝、早目に出発、渋滞のない地下鉄に乗ることに。

乗り換えの駅で、地下鉄が動かない。

やきもきして長い時間待つ。やっと動き出す。まだ大丈夫だろう。

空港について、「どうやって手続きをしたらいいですか?」と尋ねると、

「もうゲートは閉め切りました。」

「えっ?まだ、時間が!」

「8分前に締め切りました!」

とんでも八分!ファット8ップン」

とうとう、飛行機に乗り遅れる羽目に…

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