199 ライア世界大会 an ボーデン湖
何とかライア大会から帰ってきました。思ったより大変でした。

今回は、前回の反省から、とにかく問題を起こさないように、スムーズにいくように心がけました。と言っても、福岡出発時はギリギリになりましたが(なにも交通機関がトラぶらなくてよかったです。あまり、学んでいません。)。

福岡を7:00に立ち、関西空港へ、関西空港からアムステルダム、アムステルダムからチューリッヒに辿り着いた時は夕方の6時半でした。時差もあるので総合すると18時間30分です。

それから、列車の切符を買って、何も問題なく、2時間ほどかけてユーバリンゲンに到着しました。

まあ、考えてみれば、いつも行っているところなので様子はわかっているし、スムーズにいくのが当たり前かもしれません。

ニーダーさんのところに泊めてもらい、さっそく次の日に、ニーダーさんの手伝いとして、準備のために大会が行われるユーバリンゲンにあるシュタイナー学校に行きました。

この学校は、私が30年ほど前に初めてシュタイナー学校の見学に訪れたところです。

木がたくさん使われたとても有機的な(?)形をしていて、当時その美しさに大きな衝撃を受けました。その学校にやってきて、感慨もひとしおです。

このライア大会は3年に一度開かれていて、最初はドイツのハンブルグ、アイルランドのベルファースト、アメリカ、スウェーデンのテレヴィ、で行われ今度が5回目の大会だそうです。

今回の参加者は、かなり多く、初回の大会に匹敵するぐらいの人数になっているとのことでした。ボーデン湖畔に面するユ—バーリンゲンは観光地で、夏はたくさんの観光客が訪れます。そんな中、今回スタッフになられたニーダーさんは、現地のスタッフとして、部屋探しに奔走されたそうです。日本からも50人ほどのたくさんの参加者があり、一部はユースホステルに予約を取られていました。

学校には、今回の大会の中心メンバーとなる、クリスチャン・ギールシュさん、マーティン・トビアッセンさん、などライア界で有名な方々が集まられていました。皆さん、とてもユーモアのある気さくな方々で、朝の会で行われる全体の集まりの時にはいつも笑いを振りまいておられました。

夕方、話し合いがある、ということで私も呼ばれました。どういうわけか、光栄なことに今回のスタッフの中に入れていただいたようで、次の日には受付をすることになりました。

3時からたくさんの参加者の方たちが、長い長い列を作って、待っていました。3時から始まった受付は延々と続き6時頃に静まったか、と思ったらいよいよオープニングです。オープニングのあいさつはニーダーさんがされることになっていました。そして、何と日本語の通訳として、抜擢されてしまいました。

ライア大会に参加するのも初めてで、出来れば目立たないところで、縁の下のお手伝いと思っていた私は、一番の晴れ舞台に引っ張り出され、400人余りの人たちの前で、いきなり通訳をすることになってしまいました。場違いな場所にいていいのだろうか、という気持ちと、ちゃんと訳せるだろうかという不安と、誇らしい気持ちと入り混じった中で進んでいきました。

日本からは、吉良創さんや泉本信子さんなど日本を代表する方々、それにペロルでもCDを販売させていただいている三野友子さんなど、よく知られた方々が顔を見せられていて、吉良さんや泉本さんはこの大会の中で、ワークショップを担当されていました。

夜は、毎晩8時から10時近くまで、コンサートがありました。さまざまなライアのグループ、個人の演奏。復元された3000年以上前のライアの演奏や、我らがニーダーさんによる1500年前の最近見つかったライアの演奏、などが行われました。また、ニーダーさんが作ったバスライアを使った演奏もあり、ユルゲン・クノーテという方による、今回の日本の災害を題材にした演奏。クリスチャン・ギールシュさんによる歌とのコラボが演奏されました。もちろん日本のグループによる演奏も行われ、たくさんの拍手を受けていました。朝の8時過ぎから学校に詰めてコンサートが終わり、ミーティングを終わって家に戻ると11時過ぎ。たくさんの方々との会話と緊張で疲れきって、そのまま倒れ込む毎日でした。

それでも、ニーダーさんのところに勤めているヘラルドという人が行う、日の出の儀式にも何回か参加しました。

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