先日、福岡市にあるシュタイナー学園で
中高生向けの理科の公開授業をする機会に恵まれました。
テーマは<光>についてでした。
子どもたちだけでなく、たくさんの大人の方にもご参加いただきました。
シュタイナー学校では6年生か7年生で光について学びますが、
最初に、<光そのものは見えない存在である>
ということを学びます。
「えっ?」っていう感じですよね。
私自身も、ドイツのシュタイナー教員養成所でこのことを学んだ時に
「???」となり、かなり苦しんだことを覚えています。
光源から放たれた光は物に当たって物は輝くけれども、途中光は見えない。
物に光が当たっている、というけれど、
物はある色合いを持っているだけである。
夜空でお月様が輝いているけれど、
そこに射しかけている太陽の光は見ることができない。
「光は見えないって、でも電灯の光は見えてるじゃない?」
「それは電灯が見えているだけ。」
「太陽の光は見えているじゃない?」
「あれは、太陽のガス球が見えているだけ。」
「雲間から降りてくる天使の梯子や映画館の光の筋は?」
「あれは空気中の小さなちりが明るく見えているだけ。」
「そもそも、物が見えているってことは、
反射した光が目に飛び込んできてるんじゃないの?」
まるで、禅問答か、屁理屈の応戦のようです。
そこで、今回は光は本当に見えないものである。
ということを実感するための実験装置をつくりました。
ジャ、ジャン!
畳一畳の広さのボードの真ん中に40㎝×50㎝ぐらいの
四角の窓が開いていて向こう側が透けています。
これは、実はらせん教室で、
<留まる光、光によるセラピーの可能性(のようなテーマ)>
で作った実験道具を流用したものです。
窓の中は真っ暗で
部屋を暗くして、まっくらな窓の中に手を入れてみると、
暗闇で、まったく光がないはずなのに、
手が明るく輝く、というものです。
光がない(見えない)のに手を差し入れると手が輝く。
つまり、そこには光があった、という体験をしてもらうのです。
いかに光を見えなくするか、を
涙ぐましい努力と数限りない失敗を繰り返しながら
とりあえず、完成させることができました。
ジェームス・タレルの弟子として(単なる片思い)
恥ずかしくない出来になったと思います。
皆さんに、実際に窓の奥には何もないのを確認してもらい、
穴の中に手を入れました。
皆さんの中から「オォ!」というどよめきが起きたかは、
緊張で、定かではありません。
そのあと水槽の中に光を当て、水槽の中に濁りを作っていき、
色の変化を観察する、という実験をやりました。
この実験はゲーテ的な色の原現象を体験するものです。
後で感想を聞いてみると、水槽の実験の方が印象深かったようです。
これに懲りずに、頑張ります。
次回は音の講座です。
光の講座で、皆さんの期待が大きく膨らんだようで、
そのプレッシャーを背負いながら、
日々涙ぐましい試行錯誤を続けています。
今回は師匠がいないので大変です。
2020/10/16 井手芳弘
井手先生
久しぶりに「つれづれ」見ました。
光の実験(手が輝く)、興味深いですねぇ。見てみたいです。
神田 悟
神田様
コメントありがとうございます。
返信が遅くなってすみません。
頑張って装置作ってみました。
改良すればもっと効果的なものができそうです。
神田さんがのけぞってしまいそうなものが…