「今日はよりボーっとしている感じだけど」
「何か気になることでもあるの?」
最近気になっていることって…
そう、
ずっと気になっていることは、新幹線がどうして曲がるかってことだけど…
これはやっぱりまだ、わからない。
もう一つずっと気になっていることは、三本の電柱のどれが曲がっているか、ってことだけど…
もちろんこれもわからない。
夕方、散歩をしているときにふとおもった。三本の電柱はとりあえずまっすぐ垂直に立っていると思っているのに、自分から伸びてる三本のラインの内の2本はまっすぐ伸びていると思わないのだろうか、って。
そして、まっすぐ伸びている道路を立ち上げてみて、
自分が寝ているところを想像してみた。
そうすると、見事に道路の上の
3本のラインはまっすぐに立ち上がっているではないか!
悩み始める。それじゃ、
どうして道路の上だとまっすぐ伸びているように
感じないのだろうか、
そうだ!道路と自分の頭までの距離は1mちょっとなのに、
電柱と自分との距離は5mほど、
道路と自分の距離はとっても近く、
ちょうど、高層ビルの真下に立って
壁から1mほど離れて見ているのと変わらないんだ。
それも地面のすぐ上から見てる感じ。
そしたら高層ビルの壁の両端が
まっすぐ立っているように見えないと思う。(まっすぐに立ってるんだけど)
「何言ってるか、分からない」
じぶんでも、分からなくなってるかも。
ただ言えることは、
まっすぐ立った電柱は電柱の根元から見るけど、
目の前の道路は足元はほとんど見ない、
ということ。曲がったところから始めたら、
すべてはつじつまが合って何の不自然さもない。
中学校の時に書いた遠近法の絵も
足元からじゃなく少し離れたところから
先を書いていたから何も問題がなかった。
問題は、自分の足元と周りの世界をつなごうとするところに生じる。
まだまだ、この問題は残念ながら続く。
「訊くんじゃなかった…」
あと、気になっていることは…
「えっ?さらに?」
自分の頭の影の場所はなんなんだろう、ってこと。
それに、手鏡にお日様の光を反射させて
壁に光を当てたときに、
その鏡を通して壁に当たっている光を見ることはできない、
ということ。手鏡を通して、
ほかの場所はすべて見ることができるのに、
光の当たってる壁の場所を見ようとすると、
その場所から途端に光がなくなってしまう。
自分の頭が光を遮ってしまって光がなくなってしまうから。
このことは、熊野の那智大社に行ったときに、
宝物館の中に神鏡が展示されていて、
そこに光を当てると壁に神様の像が
浮かび上がる装置が組まれていて、
その神鏡を覗き込んで映っている神様の像を
見ようとして、どうしても見ることができなくて、
なんだか、ゾーッとしてしまって
「おお、これこそ神鏡だ!」と驚いてしまった。