250 秋のめまい

秋の日がやってきました。

今年は、中秋の名月が例年になく早く訪れました。

周りの風景もまだでしたが、

私自身もまだ心の準備ができていませんでした。

また、ちょうどその時に

ライア演奏家のバイルハルトさんが来福されていたので、

ゆっくりと月見、というわけにもいきませんでした。

そうこうしているうちに月は巡っていき、

ふと夜中に眺めるとあの真ん丸だった月が

シュンと縮んで高い天頂の空に浮かんでいました。

 

この時期、福岡にある筥崎宮では放生会が行われます。

生き物たちの供養の祭りですが、

祭りのメインのように筥崎宮から海岸まで

たくさんの出店が並びます。

出店の中には、食べ物屋以外にも、

射的や見世物小屋、お化け屋敷などが軒を連ねます。

もちろん、見世物小屋やお化け屋敷は

出店の並びの端の方にあり、

怪しい呼び込みがその雰囲気を高めています。

夜の闇に入るとあたりは

いよいよ不思議な雰囲気に包まれます。

あたりは、闇にまぎれて周りの世界から切り離されます。

人々の喧騒と屋台の人たちの呼び込み、

発電機のガーっという音(これは昔はなかっただろうな)

が後頭部をシャッフルし、

ボーッとした意識のまま通りをずっと歩いていくと、

そのまま黄泉の暗がりの世界に迷い込みそうです。

放された生き物たちと一緒に、

自分の中の生き物も放してしまい、

夜渡の祭りを経て、冬の暗がりの中へ沈み込んでいく感じです。
横道にそれてしばらく歩くと、その道は30年ほど前のインドにつながっています。

海岸の近くの通りに店が軒を連ねています。

店と言ってもまさに屋台、テントがずっと続き、

人々の喧騒、スピーカーからの音楽、人波、

それに闇の中の明るさ、まるで祭の出店の雰囲気です。

その場所は、電気の供給状況がよくなく、

時々電気が切れます。
電気が切れると突然世界は静止し、

大きく息を吸い込んだかのように満天の星空。

太古の世界に迷い込んだかのようです。
しばらくすると、また突然電気がつき、

通りは今までのように、何事もなかったかのように賑やかです。
また突然電気が切れて、満天の星空。

遠くから黒々とした山々がこちらを眺めています。

その通りを通り抜け、暗がりを歩いていると

石畳が始まり、あたりが広くなります。

周りを石造りの大きな建物で取り囲まれた一画で、

テントが並び、明かりがともっています。

そこからは湯気が立ち上っています。

人々の吐く息とホットワインの湯気が

ホッカホッカと昇ってきます。

ドイツのクリスマスマーケットでは、

暖かく着込んだ人たちが楽しそうに買い物を楽しんでいます。

あたりの石畳には霜や氷がが白く張り付いています。

靴の足音で石壁をカン、カンと響かせながら歩いていくと、

通りを曲がったところに、電飾の連なる通りがあります。

神戸のルミナリエへやってきました。

人々は光の色合いに魅せられたかのように、

だれもが上の眺めながら通り過ぎていきます。まるで、光に祝福されるかのように。

「兄ちゃん!たこ焼きどうね?」

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