253 中国病

中国の友達が言っていました。

「この車の中を抜ける横断になれると、

日本に帰ってからも無意識に

同じようなことをしてしまっている。」

「日本の道路の中央線のところで

立ち止まろうものなら、

車はまだ遥か彼方なのに

クラクションをけたたましく鳴らしてくる。」

なるほどなるほど…
もちろん私はそうならない。

なぜならば、そういう体験は、

ヨーロッパやトルコなどでもやっている。

おまけに、某、運送会社で働いていた

昔取ったきねづかで、そのようなことには慣れている。
いまさら、行動が荒くなるなんて…

…日本に戻ってきて、車を運転していて、

ふと運転が荒い自分に気が付く。

今までやらなかったような車線変更をしてみたり、

強引な割り込みをしようとしてしまってる。

こんなもん、中国では優しいほう優しい方、などと思いながら…
同じような行為のつもりなんだけど…

どうも調子が良くない…

なんだか、自分勝手なことをしている

(なにも、そこまでして先に行かなくても…、

何とも品がない)

そんな気持ちになってしまいそうになるから不思議。

気が付くと、今まで、「あんな運転する奴って、嫌な奴だよね!」

「あんな運転する奴がいると全体がギスギしてくるよね。」

「思いやりの気持ちが思いやりを生む」

と憤っていたのに、その嫌な奴に自分がなっている。

中国での様子に戻ると、
車は割り込みの連続、そもそも割り込まないと

先に進めない。

クラクションの鳴りっぱなし。

―日本だったら、

下手にクラクションを鳴らそうものなら、

トラブルになりかねない―

 

前の車が突然にとまって、

かなりきわどい感じだった時に、

後ろの車がけたたましくクラクションを鳴らした。

まるで怒鳴り散らしているように鳴らしっぱなし。

このパターンは、

日本だったらしばらく鳴らし続けながら

前の車をずっと追いかけるか、

停車させて、ガーガー怒鳴り散らすかだ。

ところが、「気をつけろよ。」

ぐらいの感覚で通り過ぎていく。

みんながそのような感じで運転していると、

それが当たり前になっていて、何とも思わなくなるに違いない。

なんとも、不思議な体験。
人と接する場合も同じなんだろうな。
と、漠然と考えてしまう。

再び、友人の言葉

「こっちでは、しっかり自分の主張をしないと

物事が進んでいかないからね。」

どこかで聞いたような言葉。
世の中はいろいろ。

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