266 ザーレム研修・4

ザーレム研修をなんと4まで引っ張ってしまいました。

もう、そろそろ終わりにしたいと思います。

もう戻ってきてから、1か月経ちます。

えー?まだ1か月?
もう1か月?

両方の気持ちが交錯します。

こうやって、

また、日々の暮らしの中に埋没していきながら、

全く別の場所で

全く違った生き方で日々頑張っている人が

いることを知っているのは、

なんともいいものです。

いろんな生き方があるものだ、

と知っていると、

なんだか楽になってくるところと、

頑張らなくては、という思いが生まれます。

今は、こうやって大きな工房をもたれて、

いろんな設備も整っています。

何年もかけて、

牛小屋もあった大きなお百姓さんの家を

自分たちで改造されていかれました。

今はとても素敵な家になっています。

知り合いの木工作家の人が作った

とても素敵な手作りのダイニングキッチンとテーブルが置かれた、

これまた素敵な広々としたダイニングで

ニーダーさん、奥さん、私の三人で食事をとりながら、

「この広い家はほとんど仕上がった。

でも、今はこの広い家に私たち二人だけだ。」

と笑いながら話されていました。

「工房も四人の職人が同時に作業できるように広く作ったんだ。」

「ゲルトナー工房をやめた職人たちが

また集ってみんなでライア作りをするために、

と考えてこの広さにしたんだけど、

みんな散り散りになってここには来なかった。」

―別に悲観するような様子はなく―

そして、これまでのいきさつを話していただきました。

ゲルトナー工房を辞めた後、

ゲルトナー工房の先輩の職人たちの協力で

一人で独立することができたそうです。

場所はこの場所から数十㎞離れた

昔の鉄道のザーレム駅の駅舎だったところを買いとり、

そこを工房にしました。

そこで、来る日も来る日も休みなく働きました。

ただ、その場所が手狭だったこと、

家の前に大きな通りがあって、

娘さんが軽い交通事故にあったことで、

引っ越しを決意したそうです。

南ドイツ中探す中で、

たまたま奥さんが

すぐ近くのこの場所を見つけてそこに決めたそうです。

自分でいろいろ改造したのは、

単なる趣味じゃなくて、

大工さんに頼んだら莫大なお金がかかり、

とても払えるような状態じゃなかったから、

暇を見つけて、コツコツとやってきいたのさ。

とのことでした。

「日本のライア演奏者の人たちが、

後継者のことを心配していたよ。」

と伝えると、

「それは考えている。

いま、楽器職人学校に頼んで、

この工房を一緒にやる若い人を探している。

これまで育てた人たちは

後継者にはならなかった。

きっといい若者が見つかると思う。」

これからのライアの未来について尋ねました。

「これから、いろんなところで、

いろんなライアが生まれてくるに違いない。」

「そんな中から、

未来に向かっていくものが生まれてくることだろう。」

「自分は、先代のゲルトナー氏から受け継いだ

ライアの流れを引継ぎ頑張っていこうと思う。」

静かな語り口の中に深い信念を感じました。

あれから、私のライアは出来上がりました。
ほとんど、ニーダーさんが仕上げました。
最後の弦張りはやらせてもらえました。
やっと仕上がった次の日はもう日本へ出発する日でした。
ずっと同じことに時間を使った、ぜいたくな時間が過ぎていきました。
今までになかった、何か深いものが私の中に残った感じがします。