Y「小さいころ、弟がある時、うどん食べに行きたい、って言ったことがあってね。」

Y「そのうどん屋までけっこう距離があって、田舎で、昔だったから、自転車で行こうとしたんだ。」
Y「そんな、遠くまで行かなくったって、家で食べればいいじゃん、 
うどんは一緒だし、って言ったら、
<気分、気分!>って言ったんだ。」
Y「名言だと思う。」
I「それがなにか?」

Y「いや、ふと思ったんだけど。」
Y「ヤシの木があるから南国を感じるのかな?って」


I「なにそれ?」
Y「宮崎に行ったとき、たくさんのフェニックスが生えていて、南国だなー!って感じたわけ。」
Y「鹿児島に行ったときは、少しはフェニックスがあったような気がするけど、宮崎ほどじゃなかった。」
Y「そしたら、それほど南国って感じがしなかった。」

I「えっ?じゃあ、フェニックスがなかったら南国じゃないってこと?」
Y「いや、南国だと思う。でも、はっきりはわからないかもね。」
Y「お日さまの射し方や温度、湿度だけで南国の感じはわかりにくいけど、そこにフェニックスやヤシの木が生えているとはっきりとわかるよね。」
Y「フェニックスやヤシの木は自分たちの成長に適した光を受け、空気と熱と湿度に包まれて成長する。」
Y「だから、フェニックスは見えない南国を目に見える形として表現してると思うんだ。」

Y「蝉の声と入道雲があると夏だって感じるし」
Y「桜が咲くから春が来たって感じるし」
Y「みかんを食べると秋を感じる。」
Y「お祭りも同じだと思う。」
Y「お正月があるから年の初めを感じるし。」
Y「中秋の名月があると秋の始まりを感じる。」

Y「パワースポットがあるからパワーを感じる。」
I「それ何?」
Y「いや、ある話を聞いたんだ。」
Y「鳥居があるのは、分からない人たちにそこからが神社の聖域だ、ということを分かるようにするためだって。」
I「そういえば、鳥居をくぐった後なんだか心が鎮まるような…」
I「あれは鳥居のせいじゃなかったの?」

Y「神社だって、そこに神社があるからそこが聖なる場所だって感じるわけじゃない?」
Y「なかったら聖なる場所じゃないと思う?」
Y「桜が咲いていなければ春じゃないか、というとそうじゃないよね。」
Y「桜は春を表現して、みんなにわかりやすくしている。」
Y「同じように、聖なる場所をわかりやすくするために神社の建物があり鳥居がある。」

Y「だれか偉い人がその場所を聖域だと感じることができて、その場所に神社を立てたんだと思う。」

Y「パワースポットもパワーがわかる人がその場所を探し当てて決めたと思う。」

Y「私がいることで、私が話すことで、見えない私を明らかにしている。」

I「はい?!」

I「うどんからそこまで行く?」

2021/09/03 井手芳弘

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