出歩くことができなくて残念です。
想いは前回の水のことに向かっていきます。
水面は不思議なものです。
まるで私たちの印象のようです。
モネの睡蓮の作品を
見に行った時に思ったのですが、
水面にはいろんなものが現れます。
水の底の様子、水そのものの色合い、
そして水面に浮かぶもの、水面に反射するものです。
これらをそれぞれ認識し分けることで、
水というものの存在を感じ(考え)ています。
水は本当に不思議な存在です。
私たちの中にも、
同じようなものが存在するから
水の存在がつかめるのだと思います。
水としての立体感をつかむために
特に必要なのは、水の表面の反射です。
周りの風景が水の表面に映り込むことを通して
表面の形をつかんでいます。
浅いところで表面の反射がない部分では、
底の様子が透けて見えることで水の量(深さ)を感じます。
底の色合いの変化の度合いに応じて
水の色を感じます。
底が見えない深いところで、
表面の反射のない部分では
深さはわからずただ水の色合いを感じいます。
これらの物は本来は一つの視覚的情報として
私たちの目にやってきて、
それを私たちは考えによって
より分けながら水を認識(考え)ています。
時々、これらの判別が難しい状況が訪れると、
私たちは水の色合いとして感じることになります。
それは時として、
不思議な色合いとして感じられます。
でも、考えてみると、
実際に認識しているものはこの色合いであり、
私たちはその色合いを考えることで
加工して見えなくしているのかもしれません。
この写真の水面に
美しいブルーのベールがかかったように見えます。
よくよく見ると、一番下の大きなベールの
右上の端に木が映っているのが分かります。
反射することで青い空が映り込んでいます。
水が浅いのでその下の石が
透けて見えてベールのように見えます。
このような情景では、もはや反射としてみるのは困難です。
水の色が2色に分かれています。
水面に橋の柱の影が差しているのですが、
左側の影の部分の水の青い色がたまらなく綺麗です。
影という意識をなくすと、鮮やかな青が現れてきます。
橋の上から眺めていると、
淡い水色のベールが流れとともに
こちらへやってきます。
この色は青い空の反射なのですが、
足元に近づくにつれ反射する割合が少なくなってきます。
もはや反射として認識するのは不可能です。
水色の色合いが、スーッと流れてきて
足元でふわっと消えていく様はあまりに美しく、
ずーっと眺めてしまいます。
前回紹介した頭の影の周りにできる光の放射です。
これは、水中に見える
光の筋があつまったものですが、
水中に光の筋が
立体的に進んでいっているのを認識するのは不可能です。
水の表面に筋が広がっているようにしか見えません。
水は不思議です。