梅の花が満開です。
新型コロナウイルスや
ウクライナの問題など、
大変なことが世界中で起きています。
そんな中、梅の花が満開です。
毎年新年の抱負として、
<整理>を揚げています。
毎年挙げているということは、
実現していないということです。
性格というのは不思議なものです。
自分の持っている整理のできなさを
一生かけて克服しようとしています。
この性格っていつ身に付いたのかな、
と思ってしまいます。
少なくとも物心ついたときには
あったような気がします。
私の弟は、いつもやってきては、
その様子を見て「病気だ。」
と言って帰ります。
「やることがたくさんありすぎて
手が回らないんだ。
大体自由業で
おまけに自分で独自のことをやっているから
仕事と道具が増えて仕方がないんだ。」
と心の中でつぶやいています。
直接言わないのは、
「言い訳はしない方がいい。」
と人に言われたことがあるからです。
直接口に出して言えないので、
文章で表現したいと思います。
ふと、ある自由業の方の部屋を
見たことを思い出しました。
部屋の机の上に
ノートパソコンとモニター
横に小さな本棚。
あと、釣り竿
「そ、それだけ?」
とつい言ってしまいました。
残念ながら
自由業は言い訳にはならないようです。
ほ、ほかの言い訳は…
ペロルの商品。
新たな商品開発のために買った材料や道具、その他もろもろ。
それらのものが混然一体となっているのです。
それらを見るたびに
「一生かけても終わらないかも?」
というあきらめの気持ちが起きていました。
次男がしばらく家にいることがあり、
救世主のように、ペロルの商品や材料を整理してくれました。
なんだか、
少し光が見えた感じがしました。
よく野球の試合で、
替わったばかりの不安な2塁手に
球が飛んでくることがあります。
片付け不安な私には、
親の荷物も降ってきます。
親と同居していたので、
親のものがたくさん残っているのです。
自分の物でさえ
整理がままならないのに、
おまけに
親の残したものまでがのしかかってきます。
親と一緒に住んでいなければ
こんなことはないのに、
と思うこともありました。
親は戦争体験者で、
物のない時代を経験していたので、
物や服をため込んでいました。
使えるものは
再利用して成仏させてあげたい。
壊れたものは、
使えるように直してあげたい。
そう願う私にとってはハイレベルです。
ある時、教室のバザーに父の靴下を
ダメもとで持って行きました。
数十足が完売した時の喜びは
今でも覚えています。
そんな中で、先日、
ジャジャン!
<自宅にあった200個以上の石鹸を使いきりました!>
<パチパチパチ!>
なんという喜びとすがすがしさ!
兄弟や子どもたちにも
強制的に分配しようとしたのですが、
一箱ずつ持って行っただけでした。
一生かけて使い切るだろうか?
と心配していましたが、
思いのほか早い終了に
やや拍子抜けした感もあります。
親のネルの下着類は丁寧に小さく切って、
縫い目の部分を取ってライア作りや修理の塗装、
オイリュトミーシュタープや
トーンバーを磨くのに使っています。
ネットでウェスを買った方が
手間がかからないのですが…
再利用できる喜びが半端ないんです。
ライア作りや商品づくりで出た端材も
捨てきれずに取ってしまっています。
何か小さな商品に利用できるかも、
と思ってしまいます。
小さな作品も
本当は大きな木から作っていった方が
効率はいいんですが…
そうこうしているうちに、
時代はサスティナビリティの時代に突入しました。
やっと時代が私に追いついて来ました。
(言い訳ができるようになりました。)
ずっと言い訳を続けていくことでしょう。
めでたし、めでたし。
お話そこで終わり?
<ジャジャン!2>
<1時間整理をはじめました!>
タイマーをつけて、
とにかく1時間を整理の時間に充てるのです。
1カ月ほど前のある日、
天からこのアイデアがおりてきました。
これは身の回りの整理に
劇的な変化を与えてくれました。
『1時間整理術』という本を書こうか、
と思ったぐらいです。
ただ、まだ始めて間もないので、
持論を展開するのは
先にしたいと思います。
2022/3/4 井手芳弘