今年もソメイヨシノが満開を迎えた。
いたるところで、その美しさを誇っている。
桜の花が咲くこの時期になるとよく思い出すことがある。
そう、それはずいぶんと前のこと。
私の祖父の話だ。
祖父は明治生まれの厳格な人間で、
私にはとても厳しく、
近寄りがたかった。
祖父は山に畑を持っていて、いつもそこへ仕事に行っていた。
私も時々鍬を担いで手伝いに行かされたものだ。
畑の周りには何本かのサクラの樹が植えてあった。
その下には大きな石が置かれていて、
祖父はよく仕事の合間にそこに腰を掛けると休んで、
タバコをくゆらせていた。
私はまだ小さかったので、
祖父がどんなことを考えていたかはわからない。
あまり話もしなかったし。
その祖父がサクラの樹が満開を迎えたころ、私にこう言った。
「この桜はソメイヨシノと言ってね、
人の手で作られたもので、種を作らんのだ。」
「自分で自然に増えることができんから、人の手で植えてやらんといかん。」
「この木はおじいちゃんが植えたと?」
私がそう聞くと
「ああ、わしが苗を買ってきて植えたんだ。」
そういいながら、祖父はしげしげと嬉しそうに木を見ていた。
いつもは厳しい祖父が、
この時ばかりはとてもやさしい顔をしたのをよく覚えている。
祖父には長男がいた。
私は会ったことがない。
座敷の欄間のところに1枚の軍服を着て銃剣を持った写真が飾ってあった。
後ろには眼鏡橋があった。
背は低かったが、祖父譲りのとてもしっかりとした性格で、
いつも高下駄をはいて闊歩していたらしい。
私が生まれる前に、戦争でビルマに行って戻ってこなかった。
それで、この家は次男の父が跡を継いだ。
祖父は長男の話を私にしたことはなかった。
祖父は1年に一本ずつ桜の木を植えていった。
畑は小高い丘に続いていて、その細い道の横に植えていった。
そして、その丘の上に植えたのを最後に、木を植えることはなかった。
それから何年かたって、祖父は天国へ旅立った。
畑も山も人手に渡って、私もそこへ行くことはなかった。
でも、桜の時期になると、遠くからでもその色合いで、桜の場所が分かった。
畑の場所から薄ピンクの点が続いていた。
ずいぶんと、時がたって、
ふと、あの場所に行ってみようと思い立った。
急な山道を登り畑にたどり着いた。
畑の隅のサクラは大きな木に成長していた。
そして、その下にはあの時の石がそのまま残っていた。
* *
この時期になるとソメイヨシノの花がいたるところで一斉に花開く。
大人になって、この木が江戸時代に作られたものだということを知った。
同じ遺伝子を持っている一本の木だから、花の咲く時期もそろっているらしい。
ソメイヨシノが咲いている。
山のいたるところに。
それぞれの木には、それぞれの人のドラマがある。
それぞれの人のドラマが
いたるところで花開いている。
2022/04/01 井手芳弘