297 奈良研修・2

いよいよ明日香村へ到着です。

「明日香村は田舎で、

目立ったものはあまりないけれど、

太古を思わせるとてもいいところだ。」
ということを聞いたことがあり、

行ってみたいと思っていました。

数年前、京都でのミュージックケア大会の折に

訪ねようとして宿の連絡をして、

すべて満杯だったのであきらめたところです。
さぞかし人が多いところだろうな。

という思いで行きました。

今回の泊まるところは、

ゲストハウスです。

ゲストハウスというのは若者たちが泊まるところ

というイメージがあり、

部屋もドミトリー(相部屋)なので

泊まったことはなかったのですが、

初めての挑戦です。

行ってみて、昔若いころによく利用した

ユースホステルに似ていることが分かりました。

旅をしている若者たちが集まるところで、

お互いの交流や情報交換の場でもあります。
おじさんは、迷惑をかけないように遠慮しての参加です。

外国の方が多いかな、と思いましたがこの日は全員日本人でした。

早速、車を駐車場にもっていきました。

飛鳥寺のすぐそばの駐車場です。

そこのおばさんとお話しして、

「どこが有名ですか?」と聞くと、

「そうだね、明日香村は大したものないからね、

この飛鳥寺とか…」と目の前のお寺を指さされました。

そこには、私の村にもありそうな小さなお寺です。

「…」

「何にもないからねえ。」

「何年か前に、来ようとしたときは、

どこの宿屋も満杯状態であきらめたんですよ。」

と言うと、「そんなことはないと思うよ。」との返事。

「たぶん夏休みだから多かったかも。」と言うと

「夏だったら暑いからなおさらお客さん来ないよ。

ブームはだいぶ前に去ったしね。」との答え。

じりじり照り付ける暑さに納得の答えです。

セミの鳴き声さえ、途切れそうな暑さです。

「なんとなく、ここに行ってみたい。」

と漠然と出かけるため、

下調べができていないのが玉に瑕です。

明日香村にきて分かったことは、

ここは飛鳥時代の遺跡跡なので、

主だった建物はほとんどないということでした。

明日香=飛鳥ということが分かっていなかったのです。

これはうかつでした。
でも、がぜん興味がわいてきます。

飛鳥時代に栄えた都市の跡にやってきたのです。

少し車で回ってみることにしました。

いくらも走らないところに、聖徳太子の生家がありました。

あの有名な聖徳太子の生まれたところがある。

というのは、なんとも心躍るものがあります。

まるで、有名な俳優が住んでいるお家にやってきたような気分です。

近くの公民館のような場所で、

ある記事に出会いました。

最近寄贈された若い聖徳太子像の

安置場所がやっと決まった。との記事でした。

なんと、近くの神社に仮に置いたけど、

寺社を擁護した聖徳太子と神社は

関係が悪かったので、

本来の場所としては置けなかった。

と書いてありました。

新たな時代の幕開けとして、

様々なことが起こっていたのだろうな、と感じました。

その真反対には広大な寺院跡が広がっています。

その寺院跡のど真ん中に小さなお寺が立っています。

平らな土地がない、ないと言っている

日本とは思えないほどの広がりを感じます。

あたりはまるで、トルコのエフェソスか、

ミヒャエルエンデの『モモ』に出てくる廃墟のような雰囲気です。

土地の片隅に、

昔の風がよどみながら

光と一緒にゆっくりと流れてくる感じです。

車を置いて、その一角を歩きました。

それはそれはとてつもない広さです。

登ってはいけないと立札のある高台がありました。

その前で、立ったりしゃがんだりしながら

高台の位置を確かめます。

立ち膝になったときに目線の高さになっています。

目線の高さが永遠の場所で、

その上に神様や仏様の世界が広がっている、

と考えるからです。

たち膝で儀式が行われていたのでは、

と考えたりします。

右に折れたところで、白っぽい蛇に出会いました。

大神神社で見たものと大きさも色合いも同じようなものです。

「そっか、やっぱり大神神社の白く見えた蛇は、

普通の蛇だったんだ、

だってここにもいるわけだし…」と思いつつ、

「でも、普通の青大将にしては

かなり白いような気がするな…」と考えてみたりもします。

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