298 奈良研修・3(亀石、石舞台、飛鳥寺)

次に訪れたのが、亀石です。

レンタカー屋さんおすすめの2大探訪地の一つです。

なんでも、大学の先生がビ

デオカメラか何かを据え付けて、

少し動いているのを確かめたとのことで

(テレビでやっていたそうです)、ぜひといわれました。

細い道のわき、

お家の横に無造作にありました。

人の背丈ぐらいの大きな石です。
説明を読むと、

先ほど訪れたお寺の境界石の一つではないか、

と書かれていました。
お寺の存在を四方に置かれた石で

支える感じです。

確かに重要な存在を感じます。
そこで偶然同じゲストハウスに泊まる、

という若者に出会いました。

次にやってきたのは、石舞台です。

この情景は、記憶の片隅のどこかにあるような気がします。
たぶん、朝の連続テレビ小説ではないかと思います。

藍によし(あおによし)という番組だったような…
明日香村というと、

ここの写真がよくつかわれるようです。
なんでも、

大化の改新にかかわった

蘇我入鹿の墓だそうです。

昔はちゃんと土がかぶった古墳だったようで、

長い風説の中で、土が流れ、

石棺を取り包んでいた石室の岩が残ったとのことでした。

それにしても、大きな岩です。

当時の人たちの技術力に

呆然と立ちすくんでいると、後ろから声がしてきました。

「ここは、私たちが若いときには、

よく人がやってきてバーベキューとかやってたんですよ。」
2人の若い女性を案内しているタクシーの運転手さんです。
そっか!
以前は入場料もいらず、

誰でも入ってバーベキューできたんだ。

雨も当たらずにいい場所だったんだろうな。

脚光を浴びる前の様子を想像してしまいます。
石舞台の外も起伏のある

広い草地として開放されていました。

草を刈っている人に聞くと

「この場所は、以前棚田だったと思うよ。」

との答えでした。

人々の暮らしの中に

ひっそりと存在していたものが、

突然脚光を浴びたのでしょう。

この土地の人たちにとっては、

幼なじみがデビューして

超有名人になった気分かもしれません。

有名になってからは、

会おうと思うと、もはや普通に会うことができず、

入場料を払うしかなくなってしまった感じです。
正面から石棺のほうに向かうと、

ギリシャのアガメムノンの墓を思い起こさせる構造です。
アガメムノンの墓のそばには神殿があり、

その神殿の背後には、左右に小高い丘を配し、

背後の奥深くには高い丘を配していました。

眼前の広がる平野に向けて、

とても力が集まる場所のように感じました。

まったく同じような、配置がこの石舞台に見られました。

古代の人たちの土地の力に対する感覚はギリシア、

日本を問わず同じようなものだったのを感じます。

次の日、飛鳥寺を訪ねました。
小さなお寺にしずしずと鎮座されておられたのは、

飛鳥大仏様でした。
なんとも癖のある、

でもなんとも味のある大仏様です。

不思議に思うのですが、

このころの仏像は概して整っているというよりは、

武骨でぶきっちょで、個性的であり、

存在をはっきりと示しているように見えます。

この感覚は、ひな人形でも味わったことがあります。
最近のひな人形が、整っているけど、

個性を失ってしまっているように感じます。

それに対して、昔のものは、とても深い味わいがあります。
現代では失われてしまった、深い感覚が備わっていたのでしょう。

全ての場所に行けるわけでもない。
すべての道を走れるわけでもない。
私が行けるのはいくつかの場所
走れるのはいくつかの道
しかし、それは私の道
私の道は世界に通じる扉
すべての場所は世界の映し
さあ、世界に会いに行こう
世界に向かっていこう
ここは世界と私が出会う場所
大切に大切に育んでいこう。

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