日が暮れると東の空に明るく輝く星が表れるようになりました。

一年中で今の時期に一番輝く木星です。

昨年は一ヵ月前の9月ごろに明るく輝いていました。

木星は輝く時期を一年ごとに一ヵ月進めていきます。

太陽と真反対の位置に来た時に月は

満月となって輝きますが、

木星も同じように太陽と真反対の位置に来た時に一番輝きます。

星座、特に黄道の12星座が実際に星空の中で分かると、

今木星がどの星座の中にいるか、もわかってきます。

星座を知ることはそれ以上の楽しみがあります。

知らない所に行った時にも出会うことができます。

スマホの充電が切れても星空はそこにあります。

外国に行った時もいつも見ていた星座を見つけると、

心細さや寂しさが少し薄れます。

星座と知り合いになると時々挨拶したりできます。

いろんな話をただやさしく聞いてくれます。

教室の子どもたちに、「ほら、あそこに木星が!」と言っても、

あまり関心を持ってもらえません。

でも考えると、自分自身も子どものころには星に興味はありませんでした。

高校生の時に天体好きな友人に誘われて、

彼の天体望遠鏡で輪のない土星を見たことがあります。

今思えば、なぜわざわざ輪のない土星を見る必要があったのか、

は分かりません。

図鑑などで見る惑星は実際に星空にあるんだ、

と感心した記憶があります。

その程度ですから、

学校で習う理科の知識を持って大学に入り、

天体について学んだといえば、

ブラックホールやホワイトホールについて、

そしてそれぞれの元素が星の中でどうやって生まれるだけでした。

そんな状態で中学校の理科の先生として教えていました。

時は、ボイジャーが木星に大接近した時でした。

テレビの画面では、

太陽を中心としてそれぞれの惑星が回り(地球も周っていた)、

木星が目の前をズーン

(宇宙空間には音はないのですが、そういう音が流れたような…)

と通過していくCGがよく流れていました。

生徒たちには、

そのころ流行ったカール・セーガン博士がナレーションする

<コスモス>という映像を見せていました。

そのビデオの中で、

「昔の人は天動説を信じていた。」

という言葉とともに

地球の周りを円い円盤の太陽がまわる映像が流れていました。

それに続けて今度は太陽の周りをまわる地球の映像に変わりました。

「そうか、見え方によっては太陽が地球の周りをまわるようにも見えるんだ…」

と漠然と考えていました。

ドイツのシュタイナー教員養成所で

一冊の天体の本に出合いました。

それは、天動説について詳しく書かれている本でした。

天動説は古い考え方だという認識を持っていた私は

「そうか、太陽と地球のどちらを中心に考えるかの違いであって、

太陽を中心に考えると、軌道が同心円で整然と描かれていく。

だけど、地球を中心に考えると

太陽以外の惑星の軌道がとても複雑になっていく。」

ということに気が付きました。

地球中心だとその人が地球のどの緯度に立っているか、

でも見え方が変わってきます。

物事は簡単に表せられた方がいいに決まっています。

でも、例えば<水星の一年間の動きがどんなものであるか>

を現代の地動説で見てみると4周まわるだけで、

後になると「3周だったっけ?4周だったっけ?」

と忘れてしまうことがあります。

地球中心の水星の軌道を見たときの驚きは忘れられません。

なんと、3枚の花びらの形で動いているではありませんか。

なんだか、とってもみずみずしい感じさえしてきます。

それから、その形は頭に焼き付いて離れません。

要するに、どちらを中心にするかの違いです。

でも、私たちは太陽が中心の地動説が正しいと信じています。

そしてその時にイメージするのは、

地球がほかの惑星たちとともに目の前を通り過ぎていく姿です。

その地球は私が今立っているこの大地と違うものだと認識されてしまいます。

そして、目の前の現実との結びつきが希薄になっていきます。

話が、硬く、むずかしくなってしまいました。

天動説のように、自分を中心として世界を捉え直すことで、

世界がより複雑で、みんなと違っていて、

興味深いものになっていってほしいと思います。

木星が、星たちが、きらめきながら語り掛けてきますように。

2022/10/6 井手芳弘

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