ザイフェンのホテルで出迎えてくれたのは、
かわいい天使の人形たちです。
「やっと、やってきた!」という実感がジワリです。

部屋に向かう通路にも
くるみ割り人形やロウソクを持った天使、
煙出し人形などが並んでいます。
実感が喜びに変わり、ニンマリとしてしまいます。

部屋に荷物を置くと、
一階のレストランに行き一服です。

初めての、旧東ドイツです。
東西がまだわかれていたときに、
よく話には聞いていましたが、
訪れるのは初めてです。
取り立てて変わったところはありません。

ホテルの部屋からは、店の商品にあったザイフェンの教会が見えます。

疲れてはいたのですが、出会いの印象を得ようと夜の村を歩きます。

ホテルから坂道を上がるとそこに教会があります。
ずっと写真で見ていたアイドルに会った感じです。
本物は思い描いていたものより質素です。
クリスマスの時の夜の写真と一緒の風景を撮ってみます。

道すがら、いたるところにお店があります。
大きなクリスマスピラミッドのオブジェや
人形たちが夜のザイフェン村を飾っています。
街全体がテーマパークのようです


*    *
次の日、土曜日にもかかわらず、
アルビンプライスラーのバウアーさん夫婦が車で迎えに来てくれました。

ドイツでは金曜日の昼からお休みのところが多く、
土曜日に働いているところはありませんので、
恐る恐る、ダメもとで、土曜日に訪問していいか聞いてみたのですが、
快くOKしてくれました。

車で少し走ると、バウアーさんの会社に着きました。
事務所には、かわいいクリスマスピラミッドがたくさん並んでいます。

工房も案内していただきました。
現在、10人ほどの人たちが働いているそうです。
いろんな機械が並んでいます。

二階に上がると、色を塗る部屋、
商品を保管する部屋があります。
クリスマスの星が所狭しと置かれています。
たくさんの商品が、きちんと整理されています。

バウアーさんの奥さんのご両親からこの工房を引き継がれたそうで、
お母さんは90歳を過ぎてもここで仕事をされていたそうです。

バウアーさんはこの工房を、
東西ドイツ統一の後に引き継がれました。
それまでは、共同販売所のようなところを通して販売していたそうですが、
統一後、すべてのことが変わり、
大きな危機がやってきました。
ご両親の手ではどうすることもできず、
引き継がれたそうです。
その後も、大変な日々が続きましたが、
何とか乗り切られたそうです。

また、統一前は、みんなロシア語を学んでいたので、
40歳以上の人は全く英語ができないようです。
世界の市場と関わらなければなくなって、
英語に苦労しているようです。
幸運にも息子さんが企業で英語を学び手伝ってくれています。
ただ、バウアーさんの子どもはこの仕事を継がないそうです。

いまのザイフェンの大きな問題は職人不足だそうで、
注文はあるのに熟練した職人がいなくなっているそうです。
ザイフェンだけでなく、いたるところで聞く話です。

バウアーさんたちは言います。
「すべては、ビジネス、ビジネス、お金、お金の世界になった。」
「以前は、確かにお金もなく、物も豊かではなかった。」
「その代わり、近所同士、お互いに助け合って生きてきた。」
「それが、今はなくなってしまった。」

車の修理も大変で、
壊れた車で何とかユーゴスラビア(?)に走って、
修理してもらったそうです。
その時には、車のトランクに食料品を積んで、
それを修理代と交換したそうです。
物がないので、お互いの持っているものを物々交換していたそうです。
どこかで聞いたような話です。
そういう話を楽しそうに話してくれます。

そのあと、なんとお昼をごちそうになり、
昔の暮らし博物館に案内してくれました。

小さなお家でお金を払うと、すぐ出口です。
「たったこれだけ?」と考えていると、
その先に点在している小さな家々がみんな博物館でした。

真ん中に、水車を併設したお家があります。
その中では、ろくろ引きの実演が行われていました。

なんと、この家は以前からこの場所にあり、
バウアーさんの奥さんが子どもの時には、
お友達のおじいさんが作業していたそうです。

「丸太をつけているこの池で泳いでいたのよ!」
「おじいさんがトイレに入っている時に、
友達と一緒に雪のボールを投げたことがあるの!」
「あの森の中でもよく遊んだわ!」
楽しそうに話してくれます。

実際の体験を生き生きと語ってくれる最高のガイドです。

それぞれの家には、それぞれの暮らしの道具が
その暮らしのままに置かれていて、
それについても、くわしく説明してくれます。

「もし、日本に行くことがあれば、
こういう昔の暮らしが分かるところを訪ねてみたいわ。」と言われました。

日本に、こういうところありましたっけ?
どなたかご存じであれば教えてください。

森に入ると、不思議なものが…
宇宙船のような…
古代の遺跡のような…

なんと、炭焼き窯!

日本の炭焼き窯とはだいぶん形が違いますが…

今度はそのあたりで一番高い丘に連れて行っていただきました。

あたりはなだらかなので遠くまで見渡せます。
ザイフェンの街並みやそのほかの町も所々に見えます。


丘の向こう側がチェコだそうです。

そこで、またコーヒーをお御馳走になり、
今度はチェコとの国境まで走ってくれました。
どこまでも親切です。

「あそこがロシアからのパイプラインだ!」
指さしていただいたところを見ると、
樹々がバリカンでカットされたようになっています。
あの話題になっているパイプラインです。
うわさに聞いていた動物を始めてみたような感覚です。
丘の向こう側がチェコだそうです。

丘からほんの少し走ると、国境に着きました。
ザイフェンをグーグル地図で見たときは、
<ドイツのはずれのチェコとの国境の山間にある辺境の土地>
というイメージでしたが、
そんな雰囲気はさらさらありません。国境には誰もいません。
いつ超えた…のかもわかりません。
ちょっと拍子抜けです。

国境を越えてすぐのところに
ショッピングセンターのようなところがありました。
どうも店はお休みのようです。
周りにベトナムのお店がたくさん並んでいます。

チェコや東ドイツが共産圏の時代に
たくさんのベトナム人たちがやってきたそうです。
彼らはとても勤勉だそうで、
統一後もたくさん残っていたそうです。

現在は、居住権を制限されていて、
半年間ベトナムに帰っていると、
居住権をはく奪されたりなど、
大変な目にあっているそうです。

スイスからの飛行機で隣になった人が言っていましたが、
統一から30年以上経った今でも、格差が残っているそうです。
統一直後は、給料の格差が問題となっていましたが、
今だに残っているそうです。
そして、なりより、年金額が旧西ドイツの半分ぐらいだそうです。
それぞれの年金システムから引き継いでいるそうです。
ニュースなどからは分からない事柄が、
そこに住んでいる人々から話を聞くことで明らかにされていきます。

大戦後から東西統一に至る中で、
人々が翻弄され、
いまだに、多くの問題が残されているのを感じました。

2023.04.21 井手芳弘

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