何とかクロッタが夏至を挟んで2台仕上がりました。
長い道のりでした。
後の2台も間もなく完成です。
No.20のラベルを張りながら、
「えっ?」「もう20台?」
「そんなに作ったんだ!」と驚きを隠せません。
自分ではまだ4、5台の感じです。
相変わらず、反省点や気づきがたくさんです。

作業の間ほかのことが全く手に着かない状態だったので、
部屋の中がぐちゃぐちゃですが、これから整理していきたいと思います。
想いは、相変わらずドイツです。

前回のつれづれで紹介したのフィントアイゼン氏の講座に参加した時に、
すぐ近くだったヴィンターさんのお家を訪ねました。

ウィンターさんは知る人ぞ知るシュタイナー関係の画家で、
ヴィンターさんが描いたヴェレダカレンダーは唯一完売になったそうです。
日本でも何度か講座をしていただきました。
その朗らかでフレンドリーな性格と芸術家としての指導の素晴らしさからたくさんのファンを持たれていました。
ドイツに行った時も訪ねていき、
次回の日本での講座の予定について話をしていました。

ヴィンターさんの突然の訃報をザーレムのニーダーさんから電話で聞きました。
とても大きなショックと喪失感を感じつつ、コロナでドイツに行くこともできず、
やっと今回訪ねることができました。
お家のベルを鳴らすと、ヴィンターさんの奥さんが笑顔で出てこられました。
奥さんはアメリカ人で、治療オイリュトミーの療法士をされています。

持ってきた、日本で印刷したヴィンターさんのポストカードの包みを渡すと
早速ヴィンターさんについての話が始まります。
テーブルにはお茶が用意されています。
本来であれば、ここにヴィンターさんが座り、あれやこれやと話が弾んでいたことでしょう。
      *     *
心臓の血管にステントを入れるバイパスの手術をしたそうで、
その後、驚くように元気になられたそうです。
部屋にある大きなストーブのためのガレージに山積みされた薪割りを全部やってしまったそうです。
「薪割り、大変なんだ。」
「これ全部やると、しばらく具合が悪くなる。」
と言われていたのを思い出します。
それから数日後、夜にベットに入り
朝起きてこられなかったそうです。

その一週間ほど前からアトリエをきれいに整理されたそうです。
また「光をどのように表現すればいいかやっとつかんだ気がする」と言われたそうで、
その時に描いた人の顔の絵を見せていただきました。
小さなまだ完成されていない絵でした。
試行錯誤と手探りで描かれた様子がうかがえます。
ふと、「キリストの本質をつかんでそれを描こうとされたのでは?」という思いが生まれました。

「彼は、眠りについている間に体験する世界が美しすぎて、
ずっとそれを体験し続けていたくて、起きてこなかったんじゃないか?」と奥さんは語りました。

つづいて、二階に連れて行っていただきました。
そこには祭壇に飾られるキリストが描かれた大きい絵が置かれていました。
ヴィンターさんの絵の中では一番大きい絵だそうです。
そこに込められた静寂と深い精神性を感じることができました。

ヴィンターさんと最後に会ったのは4年ほど前です。
ヴィンターさんの友人とともに3人で小高い丘の眺めのいいレストランで昼食を取りました。
その時彼は不思議な話をしました。なぜか、その話だけがずっと印象に残っています。

ある知り合いの男の人が何人かの子どもたちを車に乗せてシュタイナー学校に送っていた時のことだったそうです。
出口を通り過ぎてしまい、急いでUターンした時に、後ろから来た車と衝突したそうです。
その人は意識を失いベッドに横たわっていた時に突然目を覚まし、
「子どもたちは無事か?」
と尋ねたそうです。
そばにいた人は、
「みんな無事だ」
と言ったそうです。
それを聞いた男の人は、
安心した表情で「そうか…」
というとそのまま目を閉じ、亡くなられたそうです。

なぜそのような話をされたのか分かりません。

また、シュタイナー関係の若者たちの精神的な学びのクラスも担当することになった話もされていました。

ザーレムライアのニーダーさんは、
「最近、ヴィンターさんと精神的な世界についての話をするようになっていた。」
「ずっと前から彼を知っているが、そのような話ができる友人とは思っていなかった。」
「これから、いろんな話ができたのにとても残念だ。」
と話されていました。

私の顔を見ると「ヨシ、梅ヶ枝餅は?」と言っていたヴィンターさん。
日本が大好きで、某うどん店のうどんを食べに行ったときに、
「海外に行ってこの料理を食べられない日本人はさぞかしつらいだろうな。」
としみじみ語っていたヴィンターさん。
ススキを見て、「日本の原風景を見た。」と喜んでいたヴィンターさん。
絵の指導中にも、ユーモアが絶えなかったヴィンターさん。
そんな気さくな性格の中に、絵の指導に込められた彼の精神性の深さが息づいていました。
「一枚の絵は一人の人の人生のようなものだ。」
「画家はたくさんの人生を体験することができる。」
「最初から形を塗るな!」
「色を置くときは、絵であることから離れて色の斑点として認識し、
最後に一つの色を置くとしたらどこに置いたらいいかという思いで描くんだ!」

ヴィンターさんの言葉が今でも聞こえてきそうです。

2023/7/7  井手芳弘

つれづれ462 ドイツ研修 我らがヴィンターさん」への6件のフィードバック

  1. ヴィンターさんの言葉は私の中にも生きています。
    層技法の絵は、いつも「これが最後の一層だとしたらどこに何色を入れるか?」
    と言われたことを意識して描いています。
    キリストの絵、素晴らしいですね。
    それ以前の絵とは違う次元に入られていますね。

    1. 木村美雪様
      コメントありがとうございます。
      木村さんにもその言葉が生きているのですね。
      それはうれしいです。

      キリストの絵も素晴らしかったです。

  2. 先日Twitterでレピウス雲の写真をみました。
    重たい空気が上昇した時に出来るそうで、雲の中では太陽光が特殊な動きをして虹色に光ると書いてありました。
    こちらの絵とそっくりです

  3. かわしま様
    コメントありがとうございます。
    早速画像検索してみました。
    美しいですね。
    そして、確かにヴィンターさんの絵の色合いと似ているな、と思いました。
    ヴィンターさんはこの現象の存在を知らなかったと思いますので、そこに行きついたのはすごいなと思います。
    生きておられたら、さぞかし喜ばれたと思います。

    1. こちはのTwitterについては、レピウスではなくピレウス(頭巾雲)の誤字と 色調補正も取り沙汰されていました。が、虹色に輝く事はあり 一般的な虹のメカニズムとは違い水滴の外側を光が回折して起こるそうです これもTwitterの受け売りですが。

      1. かわしま様
        コメントありがとうございます。
        ピレウスだったのですね。
        一度見てみたいです。

        ペロルいで

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