まだまだ暑い日が続いています。
今年の夏も自宅にある私の事務スペースでは
何とかプールと扇風機を使い、
クーラーなしで過ごしました。
でも、どうも限界な気がします。
何で、こんなにこだわる?
一つはエアコンのリモコンが見つからないからです。
実は、一回だけ夕方にエアコンを入れました。
その時は不安定な回転イスを踏み台にして机の上に登り、
エアコンの前のカバーをあけて強制運転のスイッチを入れました。
2,3分ほどしてまたイスから机へと登って、
スイッチを切り、カバーを閉めました。
そのままだと切り忘れてずーっと運転しっぱなしになるからです。
要は、エアコンを入れるのがとても面倒で、危険だからです。
そう、ちなみに、エアコンではなくクーラーです。
冷房しかついていません。
エアーコントロール(エアコン)もしてくれません。
この部屋の暑さは一階建てのせいだ、ということに最近気が付きました。
事務スペースの部屋だけ一階建てなので、
屋根からの熱が伝わって、
ほかの二階建ての一階部分より格段に暑くなります。
閉め切って出かけていってから、戻ってくると地獄です。
最近覚えた裏技は、扇風機を外に置いて、涼しくなった外の風を中に入れることです。
ただ、気を付けなければいけないのは突然の雨です。
まだ、扇風機は被害にあっていませんが、
これを書いているノートパソコンは、
窓辺で開いたままにしていたところに雨が降り込んだことで、
キーボードのいくつかの文字が動かなくなり、
さらにはgggg…と勝手に打ち込むようになりました。
「ジジイだからって、そんなにggi って言わなくても…」
と途方に暮れていたのですが、ジジイの解決策だけは何とか見つかりました。
「ジジイじゃない!」と言って、
g以外のキーを打つと止まりました。
実は雨にびしょ濡れになったのはこれが二回目です。
一回目は大変慌ててキーボードをタオルで拭き、
なんともありませんでした。
今思えば、安心とともに、
「結構丈夫じゃん!」
という気持ちから
いつしか「大丈夫!」に変化してしまっていました。
せっかくパソコンの神様が恩恵を一回与えてくれたのに、
感謝を持って受け取らなかったことが大きな要因です。
「ggi!」の時に大慌てで新しい中古パソコンを買いましたが、
面倒なため、いまだにキーボードと一緒に持ち歩いています。
書きたかったことは、こんなことではありませんでした。
<○○大好き!>というタイトルが続いています。
ちなみに大好きな果物は桃です!
次は<桃大好き!>というテーマになるかもしれません。
本題は<阿蘇大好き!>でした。
今年の夏は、阿蘇近辺に何度か通いました。
どこかに行く、となるとついつい足が向いてしまいます。
今回は南小国町というところで和紙染めカードのワークショップをしました。
そのおかげで、地元の方々とも知り合いになることができました。
また、ペロルの事業でプラネタリウムプロジェクト
を進めようとしていますので,
そのこともあり出かけていきました。
そう、それとお世話になったドイツの方々が来られたので案内しました。
これまでは、阿蘇に行く言い訳をするために、
教祖一人(私)、信者一人(私)の
なんちゃって宗教団体を立ち上げ、
(注:架空の物であり事実とは異なります)
みんなに吹聴していました。
みんなの前で
「宗教団体を立ち上げました!」というと、
「えっ~!」と驚く方、
「おかしくなったのではないか?」と警戒心を持たれる方、
「とうとうそこまで…」とあきれる方、
「また始まった…」とニンマリとされるすでに話を聞かれた方、
など反応は様々です。
さらに「水行をしている。」というと、
初めて聞かれる方はいよいよ驚きと尊敬が入り混じった真剣な表情に変わり、
場の雰囲気が変わります。
傍らでは、それを見て笑いが吹き出しそうになっている人がいます。
「水は水でも温水です。」
というと、
「それって温泉に浸かっているってことでしょ?」
と突っ込みが入ります。
まあ、足しげく通っていることを正当化したいだけなのですが…
でも、今度は店のプロジェクトの一環という大義名分ができたので、
熱心なビジネスマンという存在に変われそうです。
阿蘇を最初に訪れたのは中学3年生の修学旅行です。
ただ、広大でなだらかな山並みをバスで走ったという記憶しか残っておらず、
他にどこに行ったのか覚えていません。
天気があまりよくなかった印象があります。
それから次は大学一年生の夏休みでした。
阿蘇というと子どものころから超有名なところだったので、
阿蘇の駅に降り立った時は、
「あの有名な場所にやってきた。」という、
有名な芸能人にあった時のような興奮を覚えました。
それと同時に、「あの有名な場所なのになんで田舎?」
という感覚に襲われました。
そして、テントを背負って北側の外輪山の縁を4日ほどかけて歩きました。
暑くて疲れ、肩にかけていたタオルを気づかずにいくつも落としてしまいました。
走破して、お祝いに缶ビールを1本飲んだら、無茶苦茶酔いが回ったのを覚えています。
「テントがあれば、家に帰らなくてもいいんだ!」というのは私にとって革命的な事でした。
世界がとても広がった気がしました。
途中はあまり覚えていませんが、大学五年の時は足しげく通っていた気がします。
旅行中に覚えたヒッチハイクを駆使しながら一月に一回ぐらいのペースで出かけていました。
でもほとんどは阿蘇の火口の方ではなく、北の外輪と九重山が接する瀬の本高原辺りでした。
何もない広大な丘の連なりに惹かれていました。
特に秋口の瀬の本高原は最高です。
草原は黄金色に変わり、ところどころに刈り取られたススキで藁こづみ
(藁を円筒形で尖がり屋根の形に積んだもの)が積まれていていました。
その深い影が何とも言えなかったのを今でも鮮明に覚えています。
藁こづみも今はカマンベールチーズに変わってしまいました。
それはそれで楽しい情景です。
この前行ったのに、また修行に行きたくなっています。
修行のたまものです。
「水行、水行!」
2023/09/01 井手芳弘