最近、SDGsという言葉をよく聞くようになりました。
Sustainable Development Goals
(持続可能な開発目標)
の略語だそうです。
この言葉を耳にし始めたのは
数年前からかです。
サスティナブルという言葉もここ10年ぐらいでしょうか?
「やっと時代が追い付いてきた。」
という感じがして嬉しくなります。
というのも、これまでの自分の性格をやっと正当化できるからです。
なんと、何を隠そう(隠すほどでもない)
私は怠け者以外に、
<物を捨てられない性格なのです!>
不要と思われるものがあっても、
ついつい「何かに使えるかもしれない。」
と取って置いてしまいます。
特に顕著なのは、
木工品を作った後の木切れです。
ついつい、
細い木切れまで取ってしまいます。
断捨離の真逆です。
この端材が利用できたときには、この上ない喜びが訪れます。
これは、端材を利用することで
経済的な効果があるということでは、全くありません。
無料の端材を利用するよりも、
材料を買って、それを加工する方が
はるかに経済的なのです。
同じものを作る時に、
端材を一つ一つ加工していくより、
長い状態で加工して、
それを次々にカットしていく方が、
ずーっと効率的なのです。
人件費を考えると、雲泥の差になります。
だから、木工所などでは
端材を使ったりしません。
それなのに、
効率を無視して、ついやってしまうのは、
ただただ、材料を無駄にしたくない、
物に仕上げて成仏させてあげたい、
という思いからだけです。
端材たちの喜ぶ顔が見えそうです。
そのことは、私自身の心に満足感を生み出します。
同じようなことが、スーパーで買い物をしている時にも起こります。
30%引き、50%引き、
の表示が私を引きつけます。
安く買える、という気持ちもあるのですが、
それ以上に、
「私が買ってあげないと、このまま廃棄されてしまう!」
という気持ちからなのです。
商品から悲鳴にも見た叫びが聞こえてきます。
「助けて!」
「廃棄されるよ!」
「助けて!」
その場を素通りすることができなくなり、
ついつい救ってしまいます。
そのほかに、ついつい取り置いてしまうのが壊れた道具や家電製品です。
何とか、修理できるのではないか、
と思ってしまうのです。
実は、私の修理の歴史は小学校1年の時に始まります。
祖父の部屋のタンスの上に止まった時計がありました。
それを何とか修理しようと、
ドライバーで時計を分解し始めました。
そして、ぜんまいバネがビヨヨ~ンと飛びでた段階で修理不能となり、
そのまま、そっとタンスの後ろの隙間に
隠してしまいました。
それから一体どれだけの物を修理(破壊)したことでしょう。
今でも心に残っているのは、
大学時代に後輩のカメラを修理(破壊)
したことです。
敗因は左ネジ(ほとんどのネジは右ネジ)でした。
右ネジだと思って回したところ、
ネジが折れてしまいました。
そして、そのまま返しませんでした。
(なんとひどい奴!)
その後輩はいい性格でおとなしかったので、
何も言いませんでした。
でもそのことは、
私の心の隅につかえていました。
ある日フェイスブックか何かで、
その後輩の存在を知り、
一眼レフのデジカメを送りました。
なんと心が軽くなったことでしょう。
こう書いていると、
私は単なる破壊魔のようですが、
このおかげで、ライアの修理を始めとする様々な修理の能力が培われました。
これらの犠牲のおかげで今の私が存在している、
と言っても過言ではありません。
最近は修理の成功率が格段増しています。
つい壊れたものがあると、
修理し始めてしまいます。
そして、気が付くと、
丸一日かけていたこともあります。
でも、直った時の喜びは何事にも代えがたいものです。
「俺って、天才!」
とニンマリとしてしまいます。
その挙句、直らないことが多々あります。
「数千円の物に一日の時間を費やしてしまった…」
と呆然とします。
昔は物が貴重でなかなか手に入らないために
極限まで修理して使っていましたが、
何をいまさら物が豊富な現代に、といった感じです。
でも、修理を試みる利点もあります。
それは、修理を試みることでその製品のことがよりよくわかることです。
それと、専門ではないので、
修理の経験が少ないがゆえに、
トラブルの内容を推理して考えていく、
という頭の体操になるところです。
最近よくユーチューブで、
錆び錆びになって壊れた機械を新品のようにする、
という動画がアップされています。
<ボロボロに錆びた普通の包丁を数時間かけてピカピカに磨きました!>
<古い10円玉をピカピカにしました!>
など、ついつい見入ってしまいます。
たぶん、
<壊れたものがきれいになっていく。>
という過程がとても心地いいのだと思います。
それだけの時間をかけるのなら、
新しいものを買った方がはるかに経済的なので、
そういうことをする人はいません。
でも、それをあえてやっている人は、
そのことでフォロワーが増え、
広告収入が入ることで経済的に成り立っています。
貴重な機会を作ってくれてありがたい、
と感謝したくなります。
ということで、私の周りは古いサスティナブルな環境で満たされています。
いや、溢れかえっています。
どうにかしないといけません。
2023/10/20 井手芳弘
破壊魔!としての数々の犠牲が修理の腕を上げていく、、オーナーのつれづれブログで、ひとしきり笑わせてもらうと、ついお腹がすいてしまい、おやつがないと買いに行かないといけません。
井手さんのおもしろ話、いや、苦労話?が意外なところで経済効果を生んでいるご報告でした。
とっても美しい話や真面目で考えさせられる話と、おかしすぎる話の振り幅に、お人柄の深みを感じずにはいられません。
須藤さま、
コメントありがとうございます。
おかし過ぎる話でお菓子が過ぎたようですね。
食欲の秋、益々おかしさ、頑張ります。