ザーレムライア工房での研修を終わり、
今度はシュツットガルトに向かいました。
マティアス・ペロルさんとデーブスさんに会うのが目的です。
マティアスさんは
私がドイツの教員養成所に通っていたときに下宿していた、
ペロルの店の名前の由来とったペロルさんの息子さんです。
お父さんの後を継いでペロルという容器の会社を経営していましたが、
残念なことに会社を畳むことになり、
ペロルという名前は日本にだけ残っています。
最近定年退職をされたようで、
長年の大変な仕事を務めあげ、
自分のやるべきことに専念されているようです。
デーブスさんはキリスト者共同体の司祭を長年務められ、
ゼミナールでも先生をされています。
福岡にも何度も来ていただいて講座をしていただいています。
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シュツットガルトへは、バス、列車、バス
と乗り継いで4時間ほどで到着しました。
本来は列車で駅に到着するのですが、
途中の線路が工事中で通行止めのため、
バスでの代行運転です。
日本では考えられない事ですが、
ヨーロッパではよくあるようで、
以前フランスのシャルトレに行く途中にも遭遇しました。
その時はフランス語が分からないので、
何が起きたのかさっぱりわかりませんでした。
シュツットガルトへ近づきましたが、
列車とは違った風景が続き、
まるで知らない街にたどり着いたような感じです。
途中、ペロルさんの家近くの市電の駅を通り過ぎました。
途端に懐かしさ倍増です。
改めて、今の自分のルーツを感じました。
シュツットガルト駅についてみると駅は様変わりです。
駅ビルの屋上にそびえ立って回っていたベンツのマークも駅舎ごと無くなっています。
早速ホテルを探し始めます。
Googleマップを使わずに、
昔のようにホテルをさがしてみようと、
当たりをつけて歩きました。
壁に違う名前が書いてあるホテルがあったので、
階段を上り、目的のミラージュホテルを教えてもらうことにしました。
ホテルを探すときは、別のホテルに尋ねるのが一番です。
ホテルに入り、受付の人に「ミラージュホテルはどこでしょうか?」と訊くと、
「あなたの名前は?」と言われるので、
「私は井手ですけど、ミラージュホテルを探しているんですが…」と答えると、
「ここミラージュホテルです。」という返事、
どうも壁のホテルの名前は違うようです。
ホテルの正面にでてみると、
確かにそこにはミラージュホテルと書いてあります。
おなかも空いたので荷物を降ろし、
街へ出かけることにしました。
先ほどの階段から足取り軽く降りていくと、
スマホ片手に大きなスーツケースを持って、
辺りをキョロキョロ見回している女性がいます。
「ミラージュホテルを探していますか?」
と尋ねると
「そうです。」との返事です。
「私は今、ちょうど、ミラージュホテルから来たところです。」
「あの階段を登って行くか、
この道を進み、ぐるっと回って正面玄関の方から入るかの、
二つの方法がありますよ。」
と言うと、
「ありがとう!」
と言って階段のほうに歩いていきました。
「私の人間的勘がグーグルマップに勝った!」
AIとの囲碁の戦いに勝った棋士の気持ちって、
こんな感じかもしれません。
誇らしげな気持ちで街に向かいました。
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駅から続くメインストリートはたくさんの人たちで溢れています。
「ここにもよく来たな~」
懐かしさが込み上げてきます。
しばらく歩き回った揚げ句、
結局、駅の近くの店からフラィッシュケーゼ(厚切りのハム)
とザワークラウト(キャベツの漬物)を買ってホテルで食べました。
「うーん、満足!!」
次の日、ホテルに荷物を置いて駅へと向かいます。
ホームのお店でパンとコーヒーを買って食べながら歩きます。
この駅はすでに数年前から工事が続いていて、まだ何年もかかるそうです。
以前のホームだけが切り離されて残っています。
ホームを通り抜けながら、反対側からデーブスさんのおうちへ向かいます。
Googleマップを使わず、おまわりさんに訊いたりしながら道を探しました。
デーブスさんの家を探し当て、ベルを鳴らすと、
デーブスさんが玄関ドアを開けて出迎えてくれました。
さっそく、積もる話の始まりです。
「日本の皆さんに元気な姿を見せたいので、写真を撮ってもいいですか?」
とお願いすると、快くOKしていただきました。
「また、福岡に行ってもいいですよ!」という嬉しい言葉もいただきました。
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一時間半があっという間に過ぎ、
マティアス・ペロルさんが迎えに来てくれました。
マティアスさんとデーブスさんは懐かしそうにあいさつをしています。
二人は知り合いです。
お母さんのペロルさんはデーブスさんの講座によく参加されていましたし、
お葬式はデーブスさんに担当していただきました
。
デーブスさんが最初に日本に来られた時、
私が成田空港に迎えに行きました。
その時の第一声が、
「どうしてあなたのメールにはペロルという名前がついているのですか?」
でした。
そこでペロルさんとの関係や、
店の名前の由来を説明すると、
デーブスさんは大いに喜んで、
「店は儲かっていますか?」と訊いてくれました。
マティアスさんの案内で、
最初にキリスト者共同体の教会に寄り、
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続いてシュツットガルトの街中にある幼稚園へと向かいました。
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このアラライラウという幼稚園は、
グリム童話から名前が取られており、
30年以上前にマティアスさんたちが立ち上げたものです。
私が教員養成所で学んでいたころから存在していました。
今でもその幼稚園に関わられていて、
建物の中を案内していただきました。
この幼稚園は、街中に住む主にトルコ人の子どもたちのための施設で、
時間もない貧困状態の親たちのために、
無償で運営されています。
もちろん幼稚園には市からかなりの援助が出ていて、
働いている人たちにはちゃんと給料が出ているそうです。
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昔の古い家を改造して作ったというその幼稚園は、
多くの小部屋に区切られていたものを一つの大きな部屋にし、
外側に階段を取り付ける大改造をして、
すてきな空間にできあがっています。
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ここで働く人たちは皆、働く意義をしっかりと感じているため、とても意欲的だそうです。
それで、他の幼稚園では人手が足りなくても、
ここは人手不足にはならないそうです。
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マティアスさんの奥さんは長い間、
ここで幼稚園の先生として働いています。
マティアスさん、自身も仕事の傍ら、
この場所に長いこと関わり続けてきたそうです。
定年退職をした現在、多くの時間をこの幼稚園に使っているそうです。
改めてその活動に頭が下がります。
シュツットガルトはシュタイナー教育が生まれた場所でもあります。
そして私のルーツの場所でもある、ということを再認識することができました。
さらに、精神的な故郷のような、懐かしさを感じることもできました。
私がしっかり立てている(ような気がする)のもここのおかげだと実感しました。
2024/05/03 井手芳弘