先日、波佐見町へ行ってきました。
波佐見町は長崎県ですが、
有田焼で有名な佐賀県の有田町のすぐ近くにあります。
「波佐見焼き」
という言葉を耳にしたことがありましたが、
すぐ近くなのに、どんな焼き物かも知らず、
一度訪ねてみようと出かけてみました。
波佐見町の方には申し訳なかったのですが、
有田と肩を並べる大きな陶磁器の産地だとは知りませんでした。
いや、現在は有田を抜いているようです。
波佐見焼きを知るために、
まず「やきもの公園」へ向かいました。
波佐見町は山間にあると思っていましたが、
結構広い場所があります。
大きな盆地といった感じです。
焼き物公園の隣に
「くらわん館」という観光案内所が併設された建物があります。
広い駐車場に車を止めて、まずその館へ向かいました。
館内の1階には波佐見焼きの作品がたくさん並べられ、
平日にもかかわらず多くの人が訪れていました。
そこには多種多様な焼き物が展示されています。
中には薄い陶器で作られた、
フェルメールの絵画を浮き彫りにした
ランプシェードなどもありました。
そんな中でとても気になったのは、
中が中空のカップです。
<熱いお湯を入れても冷めず、
握っても熱く感じない。
冷たいものもぬるくなりにくい。>
と書いてあります。
「えっ!?」
「どうやって?」
中が中空の焼き物など焼けるはずがありません。
<中に空気があると焼いたときに破裂して、
他の焼き物も被害を受ける>
というのは定説です。
焼いたときに窯の中でバンバンとはじける音がして、
窯を開けると
バラバラな焼き物が散らばっている様子が頭に浮かんできます。
ああだこうだ、と考えても分かりません。
焼き物などここ数十年買ったことのない私ですが、
買って研究することにします。
2階には
波佐見焼きの歴史を知ることができる展示があります。
スロープを上がると、
そこにが絵付けの実演をしている人がいます。
よく見るとロボットのようですが、
その不気味さは半端ではありません。
蝋人形のようにリアルで、
おまけに、指先が動き、口や目も動いて瞬きをします。
まるで生きている人のようす。
その不気味さにしばらく見入ってしまいました。
魂の備わっていないものが
生きているという感覚なのでしょうか?
我を忘れて、写真を撮り忘れました。
その後、
展示品を通して波佐見焼きの歴史を学びました。
昔、波佐見焼きは、有田焼とともに
海外、主にアジアへ大量に輸出されていたそうです。
中国の内乱により
中国からの陶磁器輸出がストップしたことが背景にあったようです。
しかし、内乱が収まると、
再び中国からの輸出が再開し、
波佐見焼きは国内販売に力を入れるようになったそうです。
その際、「安くて良いものを」という考えから、
巨大な登り窯が作られ、
多くの焼き物がそこで焼かれたそうです。
1600年代の展示品の
絵柄の素晴らしさは感銘を受けました。
現在の焼き物では見られないバランスの取れた構図や、
筆使いの生き生きとした様子が印象に残りました。
昔の人々の作るものの美しさにはいつも驚かされます。
下に降りて館内の案内所で、
あのロボットがどこで作られたものかを尋ねました。
なんと、「炎博」の時に、
キティちゃんで有名なサンリオが作ったものだそうです。
具体的な費用はわかりませんでした。
年に二回ほどメンテナンスが必要だそうです。
その後、焼き物公園の方に向かいました。
階段を上ると、たくさんの窯が並んでいました。
最近使われていた窯やイギリスのベルのような形をした窯、
トルコで今も使われている窯や
それ以前の窯など、さまざまな窯があります。
使われているレンガを見ると、
かなり使われたようなものもあります。
私は七輪窯を使って焼き物を焼いているので、
どうやったら焼き物が焼けるか、
のだいたいのイメージを持っています。
それなので、その構造を見ているととてもよくわかります。
中国のレンガを焼くための窯には、
現地の窯を移築したものだと書いてありました。
他の窯には、
残念ながらオリジナルかどうかの説明がありませんでした。
公園の一番高い場所には、
中央が少しすり鉢状に下がったサークル状の場所がありました。
そこは、私が作りたい建造物と似た構造をしていたので、
早速一番低い穴の中に腰を下ろし、
周囲の見え方を観察しました。
その姿を不審に思った人や子どもたちが、
妙な顔で私を見ていきましたが、
めげずに頑張りました。
いくつかの試みを行うことができ、
一歩進んだ感じです。
その後、再び館に戻り、
案内所で焼き物公園の窯たちが
いつ頃できたのか尋ねました。
皆さん詳しくはご存知ないようで、
代わりに「もう発行していないんですけど」と、
昔のパンフレットの残りを渡してくれました。
かなり勢力とお金をかけたプロジェクトだったようですが、
今は関心が薄れているようで残念です。
そのあと、
世界で二番目の大きさを誇る登り窯跡を見に行きました。
現在はガス釜が普及し、
それぞれの工房で短時間で焼けるために、
登り窯は使われれなくなっています。
その窯跡は
波佐見焼き発祥の地である中尾地区にあります。
その地区には世界で一番目の大きさのものもあるようですが、
現在はその中に家が建っているために、
認められてはいないようです。
その近くの山では
陶器の材料となった白い石が取れたようで、
地区の石垣にはなんと白い石がたくさん使われていました。
登り窯跡は山の斜面に作られていて、
長さが100メートル以上あり、
端から端まで歩くだけでも結構疲れました。
中尾地区の交流館に行くと、
展示室の一角に分厚い少女漫画本がたくさん並べられています。
その違和感に、手に取って本を開いていると、
「付箋の付いたところがこの地区を題材にした漫画です。」
との案内の方が声をかけてくれました。
なんと、連載漫画になっていたのです。
そのあと、ぶらぶらと歩いて、
近くの窯元の展示室を訪れました。
すると、その漫画のパネルが置いてあるではないですか!
話を聞いてみると、
取材の方が一週間ほど滞在していかれたそうで、
コロナの時はオンラインでやり取りをされたそうです。
「実写の映画ができるといいですね。」と話をし、
そこで素敵な青いコーヒーカップを買いました。
別の店でも素晴らしい線が描かれた片口を買いました。
今も焼き物の文化が息づいているのを感じました。
帰ってから、中空のカップをつぶさに観察しました。
そして、発見しました。
どうやって中空を作ったか!
すっきり!!
2024/11/1 井手芳弘